平成元年の沢田研二 ~「スター」と「人間」の交差点
2021.09.10スージー鈴木
9月の歌謡ポップスチャンネルでは、沢田研二関連の番組が放送される。注目は1988年から翌1989年にオンエアされたNHK『歌謡パレード』の再放送だ。1988年から1989年、つまり昭和63年から平成元年に至る頃は、沢田研二にとって、どのような時代だったのか。
私が沢田研二を特別な音楽家と認め、傾倒し始めたのは1985年のことだった。具体的には、同年8月8日に発売されたシングル『灰とダイヤモンド』からである。
この1985年は、沢田研二にとって、けっこうなターニングポイントとなった1年だった。渡辺プロダクションから独立し、自らの事務所=株式会社ココロを設立。バックバンドも、若々しいエキゾティクスから、何とも渋い面々のCO-CóLO(ココロ)へ。またレコード会社も、ザ・タイガース時代以来のポリドールから東芝EMIへと移籍。
沢田研二の第二幕が始まったと思った。第一幕を「スター期」とするなら、第二幕はさしずめ「人間期」という感じだった。
その直前=80年代前半の沢田研二は、派手で賑やかで忙しかった。佐野元春、大沢誉志幸、糸井重里などの、当時最新の才能をコラボレーションしながら、当時最新の音楽トレンドをインポートし続けた時期。
ただし、最新・最新を絶えず追いかけ続けるプロデュースシステムが前面に出る中で、「1人の人間としての沢田研二」がいよいよ見えにくくなっていたのも事実。そんな中、第二幕が突然やってきた。
印象深いのは、1985年6月に発売された書籍=『我が名は、ジュリー』(主婦と生活社)である。いわゆるインタビュー本なのだが、凄いのは、様々な写真に加えて、学生時代の通知表や、人間ドックの結果、さらには戸籍抄本の写しまで綴じられているのである。まさに素っ裸の「人間」沢田研二がそこにあった。
当時浪人時代だった私は、「スター」という地位を捨て、素っ裸の「人間」で勝負していこうとする沢田研二に、男気(おとこぎ)のようなものを感じた。まだ何者でもない浪人の自分に対して、既に一時代を築いた「大スター」=沢田研二が「人間宣言」をしている。これは応援したい。応援しなければならない。
ただ、ちょっと気になることもあったのだ。『灰とダイヤモンド』の歌詞である。
――♪衣装で育ちは隠せやしない
――♪嫌いな事 お辞めなさい
これらのフレーズは強烈だった。「スター」としての過去を、否定しているのではないかと。
「衣装」で思い出すのは、例えばあの『TOKIO』の派手派手しいパラシュートである。「育ち」を「人間」だとすると、「人間」が「衣装」=「スター」を否定している。そして「スター」であることは「嫌いな事」だったのか――。
事実、そこからの沢田研二は、いくぶん地味になったようにも見えた。実際、『灰とダイヤモンド』に続くシングル、1986年の『アリフ・ライラ・ウィ・ライラ〜千夜一夜物語』『女神』、1987年の『きわどい季節~Summer Graffiti』は、「スター」だった時期ほどの支持を得たとは言い難い。
――「人間」が「スター」を否定する。沢田研二は、渋い面々のCO-CóLOと、渋くて地味な曲を作り続ける、渋くて地味な音楽家になっていくのか……。
そう思うと、大学生になって、それでも沢田研二を追いかけようと思っていた私も、ちょっと残念な気分になったものだった。
結論から言うと、それは杞憂だった。例えば『我が名は、ジュリー』における、沢田研二の最後の発言を、ちゃんと理解すべきだったのだ。
――振り返ってみて、で、過去に戻るのでも過去を全部断ち切るのでもなくて、捨てるところは捨てなくちゃいけないし、引きずっていくところは引きずっていかないといけない。
つまりは「スター」としての沢田研二と「人間」沢田研二の「融合宣言」である。また『きわどい季節~Summer Graffiti』に次に発売されたシングル『STEPPIN' STONES』(1987年)の歌詞には「とにかく走り続けるぞ」という、沢田研二の強固な意志が示されていた。
――♪Keep on Keep on running STEPPIN' STONES
そんな沢田研二の意志を見事に体現したものが、1989年、つまり平成元年に発売された傑作アルバム『彼は眠れない』だ。
あらためて必要性を感じたのだろう、エキゾティクスの吉田建を再度呼び寄せ、プロデュースを依頼。作家陣も、サエキけんぞう、奥居香、忌野清志郎、大沢誉志幸、德永英明、鶴久政治、そして松任谷由実と豪華絢爛。まさに「スター」沢田研二のアルバムとなっている。
しかし、歌詞は40歳を超えた沢田研二に似つかわしく、特に尾上文による歌詞世界は、しょぼくれた中年男の悲哀を感じさせるもので、こちらの視点からは、まさに「人間」沢田研二のアルバムという感じがした。
そう、第二幕は「人間期」ではなく、「スター」性と「人間」性を併せ持つ、唯一無二の存在としての「沢田研二期」だったのだ。そして、この「第二幕:沢田研二期」は、70歳を超えて、巨大なステージを少々貫禄のついた身体で駆け回る「令和3年の沢田研二」にまで続いているのである。
今回の歌謡ポップスチャンネル・NHK『歌謡パレード』の再放送で、今に続く「平成元年(とその前年)の沢田研二」を確かめていただきたい。
(文=スージー鈴木)