「アイドルはシングル曲で勝負」という定説を覆し、松田聖子のアルバムが売れ続けた理由とは?
2020.03.23馬飼野元宏/まかいの・もとひろ
今年の4月でデビュー40周年を迎える松田聖子。それを記念して1983年にフジテレビで放送された伝説の音楽番組「ザ・スター 松田聖子 振り向けば…聖子」や、同じく83年公開の映画「プルメリアの伝説 天国のキッス」、さらには4月から始まる新番組「MUSIC JUNCTION」の事前番組として「80年代女性アイドル伝説 feat.松田聖子」を放送するなど、今月は松田聖子をパワープッシュ。また、本HPでも3回にわたり聖子の魅力を紹介するコラムを、音楽ライターの馬飼野元宏氏が書き下ろす。第1回のテーマは「松田聖子のアルバムはなぜ売れたのか?」。
1980年8月1日に発売された 松田聖子のファースト・アルバム『SQUALL』は、オリコン・アルバム・チャートの最高2位を記録し、セールスも50万枚を突破、アイドルのアルバムとしては異例の大ヒットとなった。続いて同年12月1日に発売されたセカンド・アルバム『North Wind』はチャート1位を獲得、以降も年2枚発売されるアルバムはいずれもアイドルとしては桁違いのセールスを記録している。
70年代までのアイドルは、シングル曲が大ヒットしても、それがアルバムのセールスに結びつくケースは少なく、主な購買層はそのアイドルの熱心なファンに限定されていた。アルバムはむしろ、シンガー・ソングライターなどのニュー・ミュージック系アーティストが強く、アイドルを含めた歌謡曲ジャンルの歌手たちはシングル曲で勝負することが通常だった。この傾向は松田聖子以降のアイドルたちでも、基本的には変わっておらず、聖子だけがほぼ唯一、アルバムでもトップ・セールスを記録するアイドルであった。彼女のアルバムは、アイドルとしてのファン以外の購買層にも訴えかける内容だったのである。
松田聖子のオリジナル・アルバムは夏と冬の年2枚ペースで、半年ごとのきっちりとしたローテーションで発売されており、常に季節感を意識した内容となっている上、1枚ごとに少女から次第に大人の女性へと成長していく過程が表現されている。楽曲のクオリティーも押しなべて高い。例えば夏の名盤と呼ばれる82年5月21日発売の『Pineapple』には呉田軽穂(松任谷由実)、原田真二、来生たかお、財津和夫らが作曲に加わり、夏のリゾートイメージで統一感を出し、同年11月10日発売の『Candy』では大瀧詠一、細野晴臣、南佳孝らが参加し、今度はヨーロッパ的な雰囲気を持たせた冬のムードで統一されている。また81年10月21日発売の『風立ちぬ』は、アナログ盤の片面5曲を大瀧詠一が作編曲とプロデュースまで手がけ、魅力的なガール・ポップのアルバムに仕上がっている。
アイドルや歌謡曲系歌手のアルバムは、シングル・ヒットを代表曲に置いて、それに沿って作られるのが常であったが、聖子の場合は全体のコンセプトに従って統一感が図られ、アルバムのテーマに沿った粒ぞろいの楽曲が見事な配置で収められているのだ。シングル曲も収録されてはいるが、通常なら各面の1曲目に配するところを避け、全体のバランスの中に上手く溶け込むように配されているのも特徴だ。また、結婚・出産による活動休止中の86年6月1日にリリースされた『SUPREME』などは、シングル曲が一切収録されておらず、音楽番組への出演もないのに、彼女のアルバム中最大のセールスを記録している。
これは『風立ちぬ』以降、聖子の楽曲を数多く手がけている作詞家・松本隆が、アルバム曲の作詞もすべて手掛けていることで、アルバム全体の統一感が図られていることが大きい。アレンジ面でも大村雅朗を中心に、松任谷正隆や井上鑑など、現在、シティ・ポップの担い手として脚光を浴びているアレンジャー陣が、洗練された高水準のサウンドを作り上げている。松田聖子のアルバムがサウンド面でもアーティスト系のアルバムと遜色ない完成度を誇っているのは、当時のポップス、ニュー・ミュージック系アーティストのアレンジにも数多く関わっていた彼らの貢献度も大きいのである。
80年代は若者層が車を購入し、カーステレオで音楽を楽しむという文化も盛んだった。ドライブ・ミュージックのお伴に聞く音楽としては、ユーミンや山下達郎などのポップス系が人気であったが、それと同じように聖子のアルバムをカセットテープに落として車で聴く若者たちが多かったのだ。アイドルでこういうケースは聖子以外にはほぼなく、聖子の音楽は単にアイドル人気ではなく、アーティストとして聴かれていたことを証明している。松田聖子はスーパー・アイドルでもあり、同時にアルバム・アーティストでもあったのだ。
(文=馬飼野元宏)