2018年、63歳でこの世を去った西城秀樹の在りし日の姿を

2020.05.02鈴木宏和

昭和歌謡界のスーパースター、西城秀樹がこの世を去ってから、早くも2年が経とうとしている。全盛時の迸(ほとばし)るエネルギーとパワーを知る同世代の音楽ファンにとってはあまりにも早い死だった。病いに2度も倒れたことを含め、それはちょっと信じ難い、悔しい出来事だったのではないだろうか。

だがしかし、実体としての西城秀樹はいなくなってしまっても、西城秀樹の歌は残るのだ。彼の命日(5月16日)に合わせ、在りし日の雄姿が見られる出演番組を集中編成する。

というわけで、日本のポピュラー・ミュージック史にその名を深く刻み込んだ西城秀樹の軌跡を、代表曲を追いながら駈け足で振り返ってみたい。いや、時代、時代のヒット曲を取り上げて褒め称えていくだけだと当たり前なので、はなはだ勝手ながら、“ポップ秀樹”“アクション秀樹”“バラード秀樹”と3部門に分けて、彼がどれほどまでに本格的かつマルチなシンガーであり、パフォーマーであったのかを噛みしめたいと思う。

最初に“ポップ秀樹”だが、1972年のデビュー・シングル「恋する季節」が、まずはその典型的な楽曲であり、爽やか好青年の青春感全開で<君と君とふたり……>と恋心が歌われていた。以降、この部門では「青春に賭けよう」(73年)、「君よ抱かれて熱くなれ」「若き獅子たち」(ともに76年)、「ブルースカイブルー」「ブーツをぬいで朝食を」(ともに78年)、オフコースのカバーの「眠れぬ夜」(80年)、吉田拓郎が作曲を手がけた「聖・少女」(82年)などのヒットが生まれている。

続いて“アクション秀樹”。一般的には、このイメージが一番強いのかもしれない。そもそも発端となったのは、72年にリリースされた3rdシングル「チャンスは一度」に振り付けが導入されたことで、さらに「情熱の嵐」(73年)では振り付けに加え、Aメロの1フレーズの後にファンが<ヒデキー!>と絶叫する、アイドル型コール&レスポンスが確立されたことで、その後の歌唱スタイルの大きな柱となったのだった。スタンド・マイクを回しては蹴るアクションが鮮烈だった「薔薇の鎖」(74年)に、「激しい恋」(74年)、衣装でも度肝を抜いた「ジャガー」(76年)、「ブーメランストリート」(77年)、「あなたと愛のために」「炎」(ともに78年)、音楽シーンを完全制覇した「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(79年)、もんたよしのりが提供した「ギャランドゥ」(83年)など、西城秀樹の代名詞的なビッグ・ヒットも多い。

そして、“バラード秀樹”。これは当時、発明とも思えた曲中のセリフを抜きにしては語れない。「ちぎれた愛」(73年)の<好きだ、好きだよ、好きなんだよー!>、「傷だらけのローラ」(74年)の<ローラ、ローラ、おお、ローラ!>が与えたインパクトは、当時の少年少女にとって(おそらくは大人にとっても)、あまりに絶大だった。ほかにも「愛の十字架」(73年)、「至上の愛」「白い教会」(ともに75年)など、特に絶唱型のパワー・バラードが熱烈な支持を集め、チャートを駆け上がった。

ここまで音楽的な観点から述べてきたが、西城秀樹の魅力や功績といったものは、役者としての彼を抜きにしては語れない。中でもTVドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年)での熱演ぶりは、刮目に値する。樹木希林とのお約束の掛け合い「汚ねえなあ、ばあちゃん!」では、抜群のコメディー感覚を発揮していたし、やはりお約束の小林亜星との大喧嘩シーンでは、腕を骨折してしまうほどに体を張っていた。同ドラマが昭和の国民的名作として語り継がれているのは、西城秀樹の存在があったからこそと言えるだろう。

さて、熱心なファンはご存じかもしれないが、“役者、西城秀樹”には、その人柄を伝えるエピソードが残されている。小林亜星は、超売れっ子だった秀樹に連続ドラマに出演する余裕などなかったはずなのに、文句ひとつ言わず熱心にリハーサルを行っていたこと、収録中の骨折という大事件にも関わらず、番組が打ち切りになったりしなかったのは、一切騒ぎ立てなかった秀樹の対応のおかげだったことなどを明かしているし、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の大ヒット直後に秀樹をドラマに抜擢したことがある、石井ふく子プロデューサーも、在りし日の彼を偲んで以下のように語っている(「デイリー新潮」2019年の記事より)。

「西城君が立派だったのは、主演であろうが、自分だけ前に出ようとする人ではなかったところ。ドラマはみんなで作るもの。それを若い時から、よく知っていました」

そう、カレーのCM「ヒデキ、カンゲキ!」のハマり具合や、芸能人水泳大会(往年の大人気番組)で見せる腹毛を“ギャランドゥ”と呼ばせて、笑いのネタにさせてしまう大らかさなども含め、飾らず偉ぶらず、周囲を思いやることができて、すべてに一生懸命という、男の理想像のような姿が浮かび上がってくるのだ。しかも、スターが今よりもはるかに雲の上の存在だった時代の話なのだから、恐れ入るばかり。そう考えると、お見合いにより一般人と結婚し、最後まで添い遂げたことも、妙に納得できるのだった。

(文=鈴木宏和)

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鈴木宏和

1966年7月20日生まれ、福島県出身。大学卒業後、出版社勤務などを経て2000年に音楽ライターとして独立。洋楽中心に雑誌、新聞などで執筆をするほか、アヴリル・ラヴィーン、コールドプレイ、グリーン・デイといった海外の大物アーティストのオフィシャルライターとしても活躍。編集で携わった書籍として『地球音楽ライブラリー レッド・ツェッペリン』(東京FM出版)、監修として『ボン・ジョヴィ ホエン・ウィ・ワー・ビューティフル』(小学館集英社プロダクション)などがある。

西城秀樹

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