デビュー35周年を迎えた演歌歌手、島津亜矢。その歌の魅力、そして人としての魅力に迫るスペシャルの収録に潜入!
2020.04.16鈴木宏和
宮本隆治が司会、相田翔子がアシスタントを務める演歌・歌謡曲情報バラエティー『宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星』。演歌ファン、歌謡曲ファンの定番とも王道ともいえるこの番組に、デビュー35周年のアニバーサリー・イヤーを迎えている島津亜矢が出演する。そのスペシャルの収録現場となった、都内の某スタジオに潜入した。
番組では、不安を抱えながら実家の熊本から上京したデビュー当時の思い出話や忘れられないエピソードなどをたっぷりと交えながら、島津亜矢の現在までの軌跡を振り返るという濃密な内容となった。もちろん、彼女の歴代の代表曲も紹介。
まず最初に披露されたのは、島津亜矢の演歌人生の原点であるデビュー曲「袴をはいた渡り鳥」(昭和61年)。師匠の星野哲郎が作詞を手がけてくれた、とても思い入れが強いこの楽曲について、「大好きな北島三郎さんの歌を、先生はよくお書きになっていましたので、小さいころから名前は存じ上げていて、先生に歌を書いていただくことが夢だったんです」と島津は語る。そして「『私は弟子です! 私は娘です!』と、先生にずっと言い続けて弟子にしてもらったんです」と、弟子入りを果たした経緯も明かし、14歳で上京した自身にとって、星野は東京の父親のような存在であったことを、しみじみと振り返っていた。そして、14歳の時の写真が公開されると「アハハハハハ!」と大爆笑。
そう、コンサートに足を運んだことのある方ならご存じかもしれないが、島津亜矢という人は、とにもかくにもよく笑う。しかも「アハハハハハ!」「イヒヒヒヒヒ!」と、なんとも開けっ広げ。自然と見ている側も笑えてくるし、場の空気が一瞬にして明るくなる。視聴者の方々も親近感が2倍増し、3倍増しになるのではないだろうか。
前編と後編の2回放送分が収録されたこの日、島津亜矢が熱唱した楽曲は「袴をはいた渡り鳥」のほか、「海鳴りの詩」(平成7年)、「感謝状〜母へのメッセージ」(平成9年)、「帰らんちゃよか」(平成16年)、「アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN)」(平成30年)、「眦(まなじり)」(令和2年)の全6曲。
トークの詳細はオンエアでのお楽しみということで、テーマを軽くご紹介しておくと、『デビュー35周年』『のど自慢荒らし状態だった幼少期』『デビュー当時のブロマイド風写真』『歌怪獣という愛称』『あのIKKOとの意外な繋がり』『昨年96歳で亡くなったお祖母ちゃん』『35周年記念シングル「眦」』『「眦」の作曲を買って出てレコーディングにも立ち会ってくれた北島三郎(原譲二名義)』『名作歌謡劇場』『NHK紅白歌合戦』『J-POPと洋楽のカバー』などなど。どれもが感涙必至、また爆笑必至の話ばかりで、人間味あふれる島津亜矢の魅力にたっぷりと触れられる。
そしてこの日、ハプニングともアクシデントとも言える、大きなサプライズがあった。なんと、スタッフとして娘の歌手活動を支えている、お母さんの久美子さんが急遽テレビ初出演と相成ったのだ。スタジオの片隅で収録を見守っていた久美子さんの姿を見つけた宮本が、「お母さん、ちょっとだけ出てくださいよ」と直接声をかけて実現したのだが、親子の方言も飛び交った出演までの数分間のやり取りーー最初は固辞していたお母さんが、マイクを着けられると髪の毛を整えだし、それを見た島津亜矢が「すっかりその気になっている」と大爆笑するなどーーは、(どこまでオンエアされるかわからないが)必見の面白さ。
一転して、すごく厳しい母親だったと語る島津亜矢の話、また『NHK紅白歌合戦』初出場時の心境を語ったお母さんの話には、胸が熱くなること間違いなし。「今日は本当に、宮本さんまで心が美しくなっちゃって」(相田)、「今までが汚かったみたいじゃないですか」(宮本)、「アッハッハッハッハ!」(島津)という、示し合わせたかのような掛け合いによるオチ(!?)も見事だった。お母さんが西城秀樹のファンで、実家の台所にはポスターがたくさん貼ってあったということも、付け加えておこう。
ちなみに島津亜矢と相田翔子は、ひとつ違いの同世代。10代前半で夢を追いかけて上京し、夢をつかんだ女性同士、相通じるものがあったようで、当時の写真撮影時のポーズについて談笑をしたり、この収録で距離が近くなったようだった。
もちろん、歌の方では島津節を存分に聴かせてもらいつつ、思いもかけず、まさに怪獣のような(失礼!)豪快な笑いでも楽しませてもらえる『島津亜矢35周年スペシャル』。バラエティー番組としても見ごたえがあるので、演歌ファンのみならず、ぜひチェックしていただきたい。
(取材・文=鈴木宏和)