私が松本隆に微熱だった頃~映画『微熱少年』によせて
2020.10.19スージー鈴木
1986年の6月頃だったと思う。その春、大学入学のために上京した私が、大学の生協で手に入れた、はっぴいえんど『風街ろまん』のLPを、大切そうに抱えて、地下鉄の駅に向かっている。
その当時から、『風街ろまん』は日本ロック史に残る名盤とされていた。「まずこれを聴かないと、僕の東京生活、俺のロック生活なんて、何も始まらない」と思った。
聴き込んだ。のめり込んだ。耽溺(たんでき)した。そして、ビニールの円盤に詰め込まれた、個性的で端整な日本語のファンになった――松本隆のファンになった。
1986年といえば、秋元康が作詞家として、猛スピードでのしていた時期である。おニャン子クラブが全盛で、秋元が手掛けた曲がチャートを席巻していた。松本隆をセンターステージから押しのけているようで、当時の私は正直、不愉快だった。
その頃、書店で手に取った松本隆初の書き下ろし長編小説『微熱少年』。帯に「新・詩小説の誕生」と記された黒いカバーの本を、私は迷わず手に入れた。
「あとがき」には、松本隆がミュージシャンをやめようと決意した日に、親友にこう話したと書かれていた――「ぼくはいつか小説を書くよ。でもその前に作詞家になろうと思う」。
「もう松本隆は、作詞ではなく、小説の世界に行こうとしている。秋元康とは別の次元に向かっている」――少しホッとした気がした。そして、この新しい旅立ちを応援しなくちゃと思った。
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『微熱少年』が映画になるらしい。監督を松本隆自身が務めるという。
翌年、大学2年生になってすぐの私の耳に飛び込んで来たニュース。秋元康がいよいよ時代の寵児となって来ている中、この映画が盛り上がればいいな、盛り上がるためには、まずは自分が、この映画に盛り上がらなければ、という、妙な責任感のようなものまで湧いて来た。
1987年、私が松本隆に微熱だった頃――。
また大学生協で買ったのは、真っ白なジャケットの『微熱少年』サウンドトラックLPである。1曲目はREBECCAの『MONOTONE BOY』。しかし、とりわけ良かったのは、The東南西北という4人組ロックバンドによる『君の名前を呼びたい』だった。もちろん全曲、作詞は松本隆。
「一昨年の夏、ぼくが『微熱少年』という小説を書き出した時、まさか自分でメガホンをとって映画を作ることになるなんて、夢にも思っていませんでした。人間の運命は不思議なものです」と、サウンドトラックLPに入っていたシートに、松本隆は書いていて、私は松本が、さらに別の次元に向かっていることを確認した。
1987年6月、映画『微熱少年』が、ついに公開された。
混雑を避けるために、平日の昼間に見ることにした。弾むような足取りで映画館に向かった。東急新玉川線に乗って、着いたのは渋谷道玄坂沿いの映画館。強い雨が降っていたことを憶えている。
観客は、お世辞にも満員とは言えなかった。この映画を盛り上げねばという気持ちが少しだけ萎えるのが分かった。映画の途中、C-C-Bを脱退してすぐの関口誠人が出演するシーンになると、関口ファンの女子高生が歓声を上げるのに辟易(へきえき)した。
それでも映画の出来には満足した。ストーリーもそうだが、音楽と映像の兼ね合いに、松本隆のミュージシャン根性を確認した。最も印象的なパートを挙げるとすれば、やはり大滝詠一『恋するカレン』が流れる、あのシーンだろうか。
原作小説とはまったく異なるラストにも驚いた。「盛り上げなければならない」という気持ちは少しばかり萎えても、微熱は続いていたようだ。なかなかのレアアイテムと思われる『ANOTHER SIDE OF 微熱少年』というVHSビデオまで買ったのだから。
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松本隆が作詞家50周年となり、映画『微熱少年』から33年の月日が経った今年、「松本隆神格化ブーム」とでも言うべき空気が広がっている。契機となったのは、2015年に開催された、松本の作詞活動45周年を祝うライブ『風街レジェンド2015』あたりか。
ブームの中では、主に松田聖子や、「日本語ロックの創始者」としてのはっぴいえんどの歌詞を中心に、松本隆が陶然と語られることになっている。
それはそれで結構なことなのだが、33年前に映画『微熱少年』を見た少年少女は、今どのように生きていて、今どのように松本隆を捉えているのだろう――そんなことを考えながら、ちょっと距離をおいて、ブームを冷静に見つめている自分がいる。
そしてこの機会に、映画『微熱少年』が見られ、語られ、もっとふくよかな松本隆論が広がればいいな、と思っているのだが。
最後に余談。それでも例えば、以下の岡村靖幸とのやりとりを読んで私は、松本隆への微熱がまだまだ続きそうなことを確認するのだ。
岡村靖幸:ものすごいスケジュールで、ものすごい書かれていたと思うんです。
松本隆:3日に1個だったからね。
岡村:いままで2100曲以上作詞されているんですもんね。
松本:僕の場合、影武者はいないんだ。
岡村:あはははは(笑)。
松本:誰とは言わないけれど、ほかの人はいっぱいいるんだ、16人とかさ。
岡村:ブレーンもいたりする。
松本:でも、僕と筒美京平さんにはいない。それはプライドなのね。
(雑誌『BRUTUS』2015年7月15日号)
(文=スージー鈴木)