「民謡日本一」の歌唱力で被災地を癒す福田こうへい
2020.10.23児玉澄子
歌謡ポップスチャンネルでは3カ月連続(9~11月)で、福田こうへいの特集番組を放送。10月24日後7:00にはその第2弾として、2017年にNHKで放送された「明日へつなげるコンサート 南相馬市「氷川きよし福田こうへい島津亜矢ほか豪華ゲスト登場」」を放送する。
数々の民謡コンテストを制覇し、「民謡日本一」の歌唱力を引っ提げて歌手デビューしたのは2012年のこと。36歳と遅咲きながら、民謡で鍛えた確かな歌唱力と絶妙なこぶし回し、ハリのある伸びやかな歌声はたちまち演歌ファンを魅了し、デビュー曲『南部蝉しぐれ』はオリコン演歌チャート1位を記録。翌年にはNHK紅白歌合戦に初出場、また日本レコード大賞新人賞を受賞した。
端正な顔立ちも魅力の福田だが、ひとたび口を開くとその気さくで飾らない、そして誠実な人柄にひかれるファンは多い。現在も生まれ故郷の岩手県から全国へとコンサートに飛び回る日々。東北なまりで実直に語りかける姿も、「カワイイ」「ギャップ萌えする」とファンの心をくすぐっているようだ。
自らも被災地在住であることから、東日本大震災の復興支援コンサートはライフワークの1つとなっている。「明日へつなげるコンサート 南相馬市」もまた、震災の記憶を名曲とともに未来へとつなげる取り組みだけに福田の出演は意義深い。
番組にはそのほか氷川きよし、島津亜矢などの人気歌手が揃い踏み、福田は代表曲『南部蝉しぐれ』を披露する。CDが10万枚売れれば大ヒットと言われる演歌の世界で異例の28万枚を売り上げた同曲は、もともと民謡歌手である父・福田岩月のために作られた曲だった。
幼い頃に友だちにからかわれたこともあって、父親の職業を嫌っていたという福田。思春期になってからは父とソリが合わず、顔を合わせればケンカばかり。そんな父親を見返すために「民謡大会に出てみては?」と母から提案されたのが、福田が民謡を始めたきっかけだった。
やがて福田も民謡の世界で頭角を現し、「民謡界のプリンス」と称されるようになっていく。民謡番組で親子共演も果たすが、溝は埋まらぬまま──。そして『南部蝉しぐれ』を一度も歌うことなく、52歳の若さで福田岩月はこの世を去る。
都会でくじけそうになった若者が、故郷の情景を思い浮かべて歯を食いしばる『南部蝉しぐれ』は、年間200以上のコンサートで全国を回っている福田にとって、嬉しいときも悔しいときも心の拠り所になっていることだろう。何よりこの曲を歌い続けることは、生前には果たせなかった父との唯一の絆でもあるのだ。そのほか番組では、島津亜矢との『柔』、氷川きよしとの『空に太陽がある限り』といったスペシャルデュエットも披露する。
福田の高らかに突き抜けるハイトーンボイスと島津のソウルフルな歌唱による『柔』は、人生の応援歌たる力強さと優しさに満ち溢れた1曲に。そして『空に太陽がある限り』では、匂い立つような大人の男の色気の福田と少年のように軽やかな氷川という対局の魅力で聴かせてくれる。
出演者全員で歌う唱歌『ふるさと』のフィナーレまで、見どころの詰まった1時間をぜひ堪能してもらいたい。
さて、遅咲きながらも華々しいデビューを飾り、スター歌手の道を順調に歩んできた福田だが、同番組が放送された翌年の18年には突然の苦難に見舞われている。11月23日、福島県白河市で行ったコンサートの直後に大量吐血。療養に伴い、その後に予定されていた2公演も中止を余儀なくされたのだ。病名は「急性胃粘膜病変にともなう黒色吐物」とされたが、原因は不明。コンサートを全力でこなすために健康には気遣っていたものの、「大きく腹式呼吸して歌うので過度の刺激を与えたのかもしれない」と振り返っている。
同年12月6、7日には復帰コンサートで変わらない歌声を聴かせたものの、デビュー翌年から4回にわたって出場してきたNHK紅白歌合戦もこの年には落選。悔しさはもちろんあっただろうが、「心配をかけてしまったファンに恩返しをしなければ」とその後はさらに精力的にコンサートを行ってきた。今やコンサートでの観客動員数は演歌界でもナンバーワンを誇る。
福田の歌声を「演歌界の宝」と絶賛する北島三郎は、19年に原譲二名義での作詞作曲による『アイヤ子守唄』を贈っている。「急ぐな 焦るな 俯(うつむ)くな」と歌う同曲には、福田に演歌界の未来を託した重鎮の思いが込められているかのようだ。何より耳の肥えた演歌ファンの熱い支持がある。大晦日のNHKホールでの福田の熱唱も、遠からず聴くことができるだろう。
(文=児玉澄子)