作詞家・松本隆に思いを託された斉藤由貴
2020.10.23馬飼野元宏
今年、作詞家生活50周年を迎える松本隆。自身がドラマーとして活動していたはっぴいえんどの時代にはじまり、70年代前半に作詞家に転向、数多くの大ヒット曲を手がけ、21世紀の現在に至るまで第一線で活動を続けているのはご存じの通りである。
作詞家・松本隆の大きな特徴は、2つ挙げられる。1つはその活動形態だが、もともとフォーク・ロックのジャンルから登場し、やがて歌謡曲のフィールドでも成功をおさめたこと。ことに先日惜しくも逝去された歌謡曲の大物作曲家・筒美京平と組んで幾多のヒット曲を手がける一方、はっぴいえんどの盟友である細野晴臣や大瀧詠一らの作品にも作詞で参加し、細野のグループだったYMO「君に、胸キュン。」や大瀧のアルバム『A LONG VACATION』で大ヒットを飛ばしている。また細野、大瀧を筆頭に松任谷由実や南佳孝、財津和夫らのアーティストと組んで、松田聖子の諸作をはじめ薬師丸ひろ子、森進一、イモ欽トリオらの楽曲を手がけ、歌謡曲側と非歌謡曲側の橋渡し的存在となったことがある。70年代中盤までは厳然と分離されていたこの2つのジャンルを、作詞という形で融合し、現在まで続くJ-POPの礎を築いたのが、松本隆の最大の功績である。
もう1つはその作詞面の特性にある。従来の歌謡曲の歌詞は、作詞家が歌い手のイメージを構築していく要素が大きかった。言うなれば作詞によって歌手の個性を「作り上げていく」方法であり、これが歌謡曲の常道でもあった。だが松本隆の場合は、その歌手のイメージを借りて、自分の伝えたいことを描くのである。例えば初期の太田裕美の「青春のしおり」という楽曲には「CSNY(=クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)」「ウッドストック」といった単語が登場する。ピーカブー「イエローサブマリンの刺繍」や矢沢永吉「サブウェイ特急」などはビートルズをモチーフにした作品で、いずれも60年代終盤、松本自身が体験した青春が描かれている。やはり太田裕美の代表作「木綿のハンカチーフ」も、松本が青春期に大きな影響を受けたボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」をモチーフにしている。このことは松本自身も認めており、ほかにも南沙織の「哀しい妖精」はやはりディランの「風に吹かれて」の世界を彼女に仮託しているかのように思える。これらの詞は、その歌い手の青春というより、松本隆自身の青春を太田や矢沢に仮託しているといったほうがいい。こういう詞の作り方は、歌謡詞では異例であり、そういった作詞法が同時代のみならず普遍的な青春像として聴かれる結果となったのが、作詞家・松本隆の独自性でもある。その歌手のイメージに合わせ服を着せるのではなく、作詞家自身の内側から生まれる感情や時代性を歌手に仮託するのが松本作品の一大特徴なのだ。
松本隆の作詞作品で、最も重要なキーワードは「青春」であろう。ことに若い女性歌手への提供曲にその傾向が顕著で、この「松本隆青春路線」で各時代の重要な歌手を挙げると、70年代後半の太田裕美、80年代前半の松田聖子、そして80年代中期の斉藤由貴となる。
1985年2月に発売された斉藤由貴のデビュー曲「卒業」は、今や卒業ソングのスタンダードとなっているが、発売当初、歌謡曲ファン、また松本のファンからは松本の詞が「昔の作風に戻った」という声があがっていたことを記しておきたい。70年代中期に太田裕美や岡田奈々らに提供してきた青春ソング、学園ソング的な作風への回帰といわれ、一方では松田聖子の「制服」の世界が再び甦ったとも言われた。聖子の「制服」の歌い出しが「卒業証書抱いた~」ではじまり、斉藤由貴の「卒業」は「制服の胸のボタンを~」と歌われていることでも、2曲は対になっており、イメージが継承されている。もちろん斉藤由貴の文学少女的なイメージ、内省的で繊細な文化系女子のムードが松本の青春路線の作風と合致したことも大きく、それが「昔の作風に戻った」と言われる所以だろう。
今回放送される、斉藤由貴の95年1月10日にアートスフィアで開催された『Yuki Saito Concert’95 “moi”』は、彼女のデビュー10周年、また結婚後初のコンサートとして行われた。デビュー以来女優としても活躍していた彼女の個性を生かし、寸劇を挟んで歌に繋いでいく演劇的な構成が面白く、ことに「卒業」は本ライブのハイライトとして、デビュー当時の自身の映像を流し、現在(95年)の斉藤由貴とのデュエットという形で歌われるのだ。歌手・斉藤由貴の繊細な個性と、女優・斉藤由貴の名演を両方楽しめる内容となっており、歌う彼女の表情ひとつひとつがクリアに映し出され、「歌う女優」であり「演じる歌手」でもある斉藤由貴の魅力が存分に楽しめる。「卒業」のほかにはやはり松本=筒美コンビの作「初戀」も歌われている。この2作は松本のストーリーテリングの見事さに対し、斉藤由貴は「歌を演じる」ことによって、その世界観を見事に表現している。「卒業」はデビュー時点の斉藤由貴の年齢に合わせた世界で描かれているのだが、10年が経過したこの映像の時点では、彼女の演技者としての向上もあり、また違った解釈でその世界を楽しめるのだ。
松本隆は、その年齢ならではの少女のデリケートに揺れ動く心象を描いているのに、その歌手が時を経て年齢を重ねても、その年齢なりの魅力で表現できるような歌の世界を構築しているのだ。松田聖子の「赤いスイートピー」も、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」も、彼女たちが何年経ってもその時期なりの解釈で歌うことが可能なのである。「卒業」もやはり同様であることは、この映像が何よりの証明であり、近年でも斉藤由貴はステージで「卒業」を歌い続けている。松本隆自身の思いを少女歌手に仮託して作られた楽曲は、同時に普遍的な日本人の「青春」として歌い続け、聴き続けることが可能なのだ。
(文=馬飼野元宏)