ザ・タイガース『世界はボクらを待っている』に見る「日本の青春」
2021.02.01スージー鈴木
1968年(昭和43年)という時代の空気が、画面全体から立ち込めて来る。
まずは背景に目を凝らす。目に映るのは、敗戦から23年、東京タワーがそびえ立ち、オリンピックは成功裏に終わり、新幹線と首都高速道路の高架が張り巡らされた、威風堂々たる東京の姿だ。
次に人々に目を凝らす。戦後生まれの若者が、大手を振って大股で闊歩する。とりわけ女の子は、ミニスカートに身を包んで、臆することなく、笑い、叫び、踊る。
そんな画面の真ん中にいるのが、ザ・タイガースだ。1968年は、グループサウンズ(GS)が、音楽シーン、ひいては時代を席巻した1年。そのGS界の頂点に立った5人組。長い髪を風になびかせて、ロック音楽を演奏する姿の、何と美しいことか。
もちろん、ジュリーこと沢田研二の美しさは別格的なのだが、トッポ(加橋かつみ)、サリー(岸部おさみ=現:岸部一徳)、タロー(森本太郎)、ピー(瞳みのる)も、ジュリーに負けじと発光し、ひとまとまりとして格別な輝きをもたらす。
この映画が描き出すのは「タイガースの青春」である。その延長線上には、戦後の「日本の青春」があり、2つの「青春」は、しっかりと歩調を合わせている。だから、画面全体が躍動する。
「日本の青春」――それは、少々ショボくれた現代日本の対極にある、めっぽう若々しい日本の姿だ。
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さて、映画『世界はボクらを待っている』に詰め込まれているのは、「GS映画あるある」とも言える、いくつかの特徴である。
まず、ストーリーがビートルズの映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』(邦題:「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」)の影響下にあること。具体的には、まず、バンドのメンバーが、架空の役でなく、自分自身という設定で出演すること。
また、単に設定だけではなく、殺人的スケジュールに追われ、大勢のファンに追われる日常のリアリティーを描くという点も『ア・ハード・デイズ・ナイト』と共通している。
それでいて、日常のリアリティーが、少女趣味的なファンタジーに、強引に押し込められるあたりも、まさに「GS映画あるある」で、この点については『ア・ハード・デイズ・ナイト』とは決定的に異なる、日本オリジナルな部分である。
当のタイガースのメンバーも、『ア・ハード・デイズ・ナイト』のような映画をイメージしていたにもかかわらず、「アンドロメダ星の王女シルビィに連れ去られるジュリーを、宇宙船から取り戻す物語」になってしまったことに、少なからず落胆したと伝えられる。
磯前順一・黒﨑浩行編著『ザ・タイガース研究論』(近代映画社)によれば、瞳みのるは「自分たちグループの映画は、アイドル満開という設定で制作されていた」と漏らしたという。「アイドル満開」――無論これは、ネガティブな意味を強く含んでいたはずだ。
それでも、「GS映画」が魅力的なのは、リアリティーがファンタジーに完全に押し込められそうになる一歩手前のところで、そこかしこに、メンバーの生の息吹が確かめられることである。
『世界はボクらを待っている』で言えば、何といっても演奏シーンだ。レコード・バージョンとは異なる、ビートが強く効いた『僕のマリー』(マンションの一室で演奏される)には、当時、彼らがジャズ喫茶で披露していた激しい演奏が偲ばれる。
また、新曲(という設定の)『銀河のロマンス』のリハーサル・シーンは、素のタイガースによる素の演奏が真空保存されている。(GS映画には珍しい)生演奏撮影ではないだろうか。ギターのチューニングが少し甘いあたりなど、リアリティー満点だ。
このように、ファンタジーとのせめぎ合いに注目しながら、そこかしこで顔を出す、メンバーの素のリアリティーを珍重することも、我々GSファンにとっての「GS映画の楽しみあるある」なのである。
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映画のクライマックスは、日本武道館。1968年の3月10日に行われた『花の首飾り』『銀河のロマンス』の発表会と映画のロケを兼ねた(コンサートというよりは)企画性の高いイベントを撮影したものなのだが、それでも超満員となっていることに驚く。絶頂期のタイガースの勢いがなせる技だろう。
その後、メンバー間の関係が悪化、約1年後の1969年3月5日、トッポ(加橋かつみ)が失踪、その後脱退。GS人気は、階段から転げ落ちるように低迷し、何とか持ちこたえて来たタイガースも、1971年1月24日の武道館のコンサートで、解散することとなる。
そして、天井知らずの経済成長は、徐々に高度を下げ、1973年のオイルショックが決定打となって、日本は低成長時代に突入。
「タイガースの青春」と「日本の青春」の終焉――しかし!
解散コンサートから40年以上経った2013年12月3日、タイガースは武道館に帰って来る。武道館で絶頂を迎え、武道館で解散を迎えたタイガースが、今度は武道館で、再結成コンサートに挑み、サポートメンバー無しのコンサートを見事成功させるのである。
「日本の青春」は終わっても、「タイガースの青春」は、まだ終わっていなかったのだ。
――「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなんて、誰にも言わせまい」(ポール・ニザン)
(文=スージー鈴木)