独自の音楽性で一時代を築いたアリス
2021.03.02馬飼野元宏
70年代日本の音楽シーンに大きな足跡を残し、他に類型の見あたらない独自の音楽性を持ったグループ。それがアリスだ。
アリスのメンバーは谷村新司、堀内孝雄のヴォーカル&ツイン・ギターと、ドラムの矢沢透を加えた3名。谷村は67年に結成されたロック・キャンディーズが71年7月に解散したのち、堀内と矢沢を誘いアリスを結成、72年3月5日に「走っておいで恋人よ」でデビューしている。関西圏を中心に少しずつ人気を獲得していった彼らだが、セールス面では低迷が続いていた。73年12月5日に発売した「青春時代」では、思い切ってなかにし礼と都倉俊一という歌謡曲の売れっ子作家を起用。続く74年6月20日の「二十歳の頃」も、同コンビに依頼している。この時期、セールスの伸びないグループに、レコード会社側が職業作家の力を借りてヒットを狙おうとするケースは多々あった。結果として「青春時代」「二十歳の頃」はともにチャートのTOP50に入り、彼らにとって初めてのヒットとなったのだ。
だが、アリスがブレイクに至るきっかけをつかんだのは、地道なコンサート活動と、ラジオ番組での人気が背景にある。
この時代、芸能プロダクションに所属する歌謡曲歌手たちは、テレビの歌番組への出演で露出を稼ぎ、結果それがレコード・セールスに反映するというビジネスモデルの上で人気を獲得していた。だが、そういったノウハウやチャンネルを持たないフォーク、ロック系アーティストたちの、楽曲の発表の場として、ライブとラジオは必須であった。
谷村が語る有名なエピソードだが、「特急の停まる市の市民会館にはほとんど行った」というぐらいで、こういった地道なコンサート活動によって、彼らの実力が次第に認知されていった。1974年には年間303ステージを経験したという驚くべき数字が残されているが、つまりはほぼ毎日コンサートをやっていたことになる。
一方でラジオ番組だが、谷村が単独で出演していた『MBSヤングタウン』、文化放送『セイ!ヤング』、ことに『セイ!ヤング』は、途中から同じヤングジャパン所属であるバンバンのばんばひろふみを加えた形になり、番組内の投稿コーナー「天才・秀才・バカ」が大人気となる。同コーナーは下ネタ系の投稿も多く、中高生男子を中心に熱狂的なファンを獲得。コーナー自体が文庫本の形で書籍化されるほどの人気となった。
こうしてライブとラジオの二本柱で、地道にファンを増やしていったアリスが、ブレイクのきっかけをつかんだのは75年9月5日に発表した「今はもうだれも」。ウッディ・ウーによって69年にリリースされスマッシュ・ヒットした楽曲を、矢沢がフォーク・ロック調にアレンジを施し、オリコン・チャートのTOP10近くまで上昇するヒットとなった。続く76年4月5日発売の「帰らざる日々」も、今度は谷村の作詞・作曲によるオリジナル楽曲で最高15位を記録。この2曲に加え、のちに彼らの代表曲の1つとなる「遠くで汽笛を聴きながら」も収録された5作目のアルバム『ALICE Ⅴ』が76年7月5日に発売されると、オリコン・アルバム・チャートの3位まで上昇するヒットとなる。ここでアリスは確実に人気バンドとしてのポジションを確立したのだ。
彼らがさらなる人気を獲得するのは、77年10月5日にリリースされた「冬の稲妻」のヒットから。翌78年には「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」が立て続けにヒットし、さらに堀内孝雄のソロ曲「君のひとみは10000ボルト」が化粧品のCMソングとなり、チャート1位を獲得。さらに同年暮れにリリースされた「チャンピオン」も1位と、まさに絶頂期を迎えた。
この1978年は、日本の音楽シーンにおいて、何度目かの変革期でもあった。歌謡曲側と、非歌謡曲側=この時代はニュー・ミュージックと呼ばれていた音楽の混在、融合が起きたのである。ニュー・ミュージック系アーティストが歌謡曲の作家の手による楽曲でヒットを飛ばし、年末の音楽賞にも進んで参加。Char、原田真二、世良公則&ツイストらは女子中高生を中心に爆発的な人気を獲得、『明星』や『平凡』などの芸能誌のグラビアにも頻繁に登場する現象が起きた。いっぽうで歌謡曲側もニュー・ミュージック系アーティストに楽曲提供を受けることが増え、実際に谷村新司もこの年、山口百恵に「いい日旅立ち」を提供し、大ヒットに導いている。さらに、この年からスタートしたTBS系の音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』にも、ランクインされるたびアリスは積極的に出演、その人気と知名度は全国区となった。同番組や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などの音楽番組が、専属のビッグバンドによる演奏だけでなく、彼らのようなバンドによる演奏を許容する時代になったことも大きかったであろう。
79年も「夢去りし街角」「秋止符」のヒットを飛ばし変わらぬ人気をキープ。だがこの頃から谷村、堀内のソロ活動が活発化し、次第に音楽的な方向性の違いが顕著となっていく。谷村のソロ作品は「陽はまた昇る」「昴-すばる-」「群青」に代表されるようにヘヴィーな内容のものが多い。一方で堀内の作品はアリスの「ジョニーの子守唄」「秋止符」、山口百恵に提供した「愛染橋」など、リリカルで曲調が明快なものが多い。方向性の異なる2人の作家のマッチングこそが、アリスというグループ独自の魅力であったが、その後ソロになった堀内が演歌路線に転向していくことでもわかる通り、いずれ音楽的な指向の乖離は避けられなかったであろう。結果、81年5月にアリスは解散を発表した。
今回、放送される『アリス3606日 ファイナル・ライブ・アット・後楽園』は、1981年8月31日の後楽園球場におけるラスト・ライブの模様を収録したものである。オープニングに配された「LIBRA―右の心と左の心―」は谷村の作詞・作曲だが、「君と過ごす最後の夜かもしれない」という歌詞は、ファンへのメッセージでもあり、去りゆく堀内への谷村からの手紙のようにも聴こえる。そしてステージを飾る数々のヒット曲を聴くと、アリスをリアルタイムで経験した世代にとって、彼らの楽曲が自身の青春と同化していることに気づかされるであろう。ある時代、誰もがアリスの曲を口ずさみ、ギターを奏で、その曲を愛したのだ。彼らを知らない世代にとっても、フォーク、或いはロックとひとくくりにできない独自の音楽性と深い情感、そして高い熱量をもったメッセージ性の強いナンバーが、今の時代、新鮮に聴こえてくるはずだ。
(文=馬飼野元宏)