“天まで響く”歌唱力でいまもファンを魅了し続ける岩崎宏美

2021.04.03馬飼野元宏

昨年、デビュー45周年を迎えた岩崎宏美。70年代、80年代と数多くのヒット曲を残し、現在も意欲的に活動を続けている実力派女性シンガーは、どのような軌跡を辿ってきたのだろうか。

岩崎宏美の登場は、衝撃だった。日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に合格し、1975年4月25日、「二重唱(デュエット)」でデビューするが、その際のキャッチフレーズが「天まで響け!!」。このフレーズの通り、美しく伸びやかなボーカルは、それまでの女性アイドル歌手のイメージを大きく覆すものであった。誰もが納得する歌の上手さ、そしてその声質の清廉さに、とてつもない大型新人が登場したと大きな話題を呼んだのである。

その成果はすぐに数字に表れた、2曲目の「ロマンス」がオリコン・チャート1位の大ヒットとなり、100万枚近いセールスを記録し、3作目の「センチメンタル」も連続して首位を獲得、岩崎宏美はあっという間にトップ・アイドル、そしてトップ・シンガーの座を射止めてしまうのである。

岩崎宏美の楽曲は、デビュー曲「二重唱(デュエット)」から作詞が阿久悠、作曲は筒美京平のコンビで制作されてきた。阿久悠は岩崎が世に出た『スター誕生!』の審査員でもあり、山本リンダ、フィンガー5などの作詞で一時代を築いており、筒美京平は南沙織、麻丘めぐみ、郷ひろみ、野口五郎などのアイドル・ポップスを手掛けてきたヒットメーカーでもあった。ことに筒美京平は、この頃洋楽シーンで盛り上がりをみせていたディスコ・ミュージックを岩崎のシングル作品に導入するようになっていく。当時人気だったフィラデルフィア・ソウルの見事な歌謡曲化である「センチメンタル」を筆頭に、「未来」「霧のめぐり逢い」「想い出の樹の下で」といった初期の岩崎作品は、どれも筒美京平流ディスコ歌謡が体現されている。

通常、彼女ほどの逸材であれば、正統派のシンガーとして育てるため、流麗なバラード曲や、歌唱力を生かしたじっくりと歌を聴かせる作品を提供していくところ、敢えてリズム重視のディスコ・ナンバーを連作していったのは、意外ともいえる展開だった。だが、こういったビートの強いアップテンポのナンバーを歌うことにより、彼女の抜群のリズム感、高音域で伸びるボーカルが生かされ、また同年代である10代のファンを数多くつかむことができたのである。
もともと「ロマンス」は、筒美の曲想ではバラードであった。これをアップテンポに変えたのは、当時の彼女のディレクターで、元ヴィレッジ・シンガーズの笹井一臣。このB面に配された「私たち」のほうが、彼女のパワフルな歌唱力を生かした、アップテンポのディスコ・チューンだったのである。どちらをA面にするかが筒美や阿久、岩崎らスタッフの間で協議され、多数決をとったところ1票差で「ロマンス」になったというエピソードがある。

77年にはいったん、筒美の手を離れ、タイプの違うポップスを歌うことになる岩崎だが、通算11作目となる「思秋期」で初のバラードに挑戦。高校を卒業して半年後、という彼女の心象に寄り添った阿久悠の詞に、三木たかしがスケールの大きなバラードを書き上げ、ここで初めて彼女の正統的な歌唱力、表現力が最大限に引き出されることになった。とはいえまだこの時点で18歳。岩崎はレコーディングの際に気持ちが高ぶり、何度も涙を流して歌えなくなったという。

そして78年7月25日には、6作ぶりに筒美京平が登板。時代は映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットで世界的なディスコ・ブームが訪れていた。ここで筒美が岩崎に提供したのが、ディスコ歌謡の名作「シンデレラ・ハネムーン」である。その後、コロッケの物真似で有名になり、一時は本人がステージで歌うことを封印していた(歌うと客席から笑い声が出たらしい)という話もあったが、独特の振り付けも含め、それだけインパクトの強い楽曲だったのである。翌月には全曲筒美京平作曲によるアルバム『パンドラの小箱』をリリース、ディスコ・アルバムの金字塔として高く評価され、昨年、初のSACD化がされたほどの、時を超えた名盤である。

79年9月の「万華鏡」のヒットで大人のシンガーに脱皮を果たし、81年にはジャッキー吉川とブルー・コメッツのカバー「すみれ色の涙」をヒットさせ、同年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞する。名実ともにトップ・アイドルからトップ・シンガーへと上り詰めた。そして、翌82年には、日本テレビ『火曜サスペンス劇場』の主題歌として流れ、発売前から多くの期待を集めていた「聖母たちのララバイ」が大ヒット。3度目のチャート1位を獲得する。この曲は当時、企業戦士と呼ばれた海外赴任のビジネスマンの間でも人気を集め、彼女は新たなファン層を獲得、幅広い支持を受けることとなった。

「すみれ色の涙」のような唱歌風の素直な楽曲は、デビュー曲のB面であった「月見草」にその源流がある。また、「聖母たちのララバイ」のようなスクリーン・テーマ・ミュージックのようなスケールの大きい作品も彼女が得意とするところではあった。だが、初期のディスコ歌謡路線のようなポップス色の強い作品を求める声も多く、83年に筒美京平が作曲した「素敵な気持ち」「真珠のピリオド」の2曲は、そんな長年のファンの期待に応えた、現役ポップス歌手としての軽やかでキュートなナンバーだった。

岩崎宏美のキャリアを振り返る上で、重要な点が2つある。ひとつはアルバム枚数の多さ。ことにカバー・アルバムはアイドル時代から何枚も手掛けており、童謡・唱歌を歌う『ALBUM』、映画主題歌カバーの『恋人たち』、「卒業写真」や「夢で逢えたら」などフォーク、ニュー・ミュージック系のカバー集『すみれ色の涙から…』など、彼女がどんな楽曲にも対応できる、天性のボーカルを備えていたことがこういったカバー集からもうかがい知ることができる。2000年代に入ると、昭和歌謡のカバー集『Dear Friends』がシリーズ化され、12年の『Dear FriendsⅥ』ではさだまさしのカバー曲のみで構成、『同 Ⅶ』は阿久悠の、『同 Ⅷ』は筒美京平の楽曲で構成されたカバー集となっており、いずれも高い人気を誇っている。

もう1点は、ライブ・アルバムの多さ。デビュー8カ月後の75年12月には早くも郵便貯金ホールでのライブ盤『ロマンティック・コンサート』が発売され、83年までの間に10枚のライブ盤を発表。昨年12月にも、近年のライブ音源からセレクトされた『LIVE BEST SELECTION 2012-2020 太陽が笑ってる』を発売した。ステージでこそ最も輝くシンガー、それが岩崎宏美であったのだ。

4月の歌謡ポップスチャンネルでは、そんな岩崎宏美の特番が放送される。「宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星 岩崎宏美スペシャル」と銘打った特別企画の前編が4月23日(金)に放送、彼女の代表曲とそのエピソード、幾多の名曲を披露する。また、4月25日(日)にはフジテレビの音楽番組『ザ・スター』の岩崎宏美出演回を放送するなど、10代、20代の彼女の瑞々しいボーカルが堪能できる。

余談であるが、筆者は76年の正月に、銀座三越の屋上で、岩崎宏美を初めて目撃した。新曲「ファンタジー」の即売会が行われ、たまたまそこを訪れた際、階段の上から聴こえてくる伸びやかな歌声に、あっという間に魅了されてしまった1人である。また、78年の夏に日比谷野外音楽堂で行われた、「シンデレラ・ハネムーン」の新曲発表を兼ねたコンサートを見に行き、彼女の清廉で伸びやかな歌声、洋楽のソウル、ディスコ・ナンバーのカバーのパワフルなステージングに圧倒されたことを昨日のことのように記憶している。真夏の夜空に冴え渡った、まさしく「天まで響く」歌声であった。

(文=馬飼野元宏)

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馬飼野元宏

音楽ライター。『レコード・コレクターズ』誌などのほかCDライナーに寄稿多数。主な監修書に『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(ともにシンコーミュージック)など。近刊に、構成を担当した『ヒット曲の料理人・編曲家 萩田光雄の時代』『同 編曲家 船山基紀の時代』(ともにリットーミュージック)がある。歌謡ポップスチャンネル『しゃべくりDJ ミュージックアワー!』ではコメンテーターを担当した。

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