月刊音楽雑誌「MUSIC MAGAZINE」執筆陣の投票によるランキング企画『昭和歌謡ベスト・ソングス100』を番組化。年代別のランクイン曲を独自解説付きで放送。本サイトでは、各年代の上位50曲を紹介します。
解説:馬飼野元宏
70年代昭和歌謡ベスト・ソングス 放送情報はこちら
80年代昭和歌謡ベスト・ソングス 放送情報はこちら
50
小林旭
日活の人気俳優だった小林旭は、同時に歌手としても数多くのヒットを放っていた。70年代に入ってからは歌謡曲を歌うことが増え、この曲もその一環で1975年1月にリリース。歌詞の内容もあって、小林自身が地道に全国のキャバレー周りをして徐々にセールスを伸ばし、1977年にはロングセラーを記録、同年のNHK『紅白歌合戦』にも初出場を果たした。
49
フィンガー5
フィンガー5の大ブレイク作「個人授業」に続く第2弾として、1973年12月に発売。作詞の阿久悠は変わらず、作曲に元ブルーコメッツの井上忠夫(大輔)を初起用。井上が得意とするノリのいいロックンロール歌謡で、歌い出しの♪リンリンリリン…の名フレーズ、末っ子・玉元妙子の“ハロー・ダーリン”の掛け声を、当時の小学生たちがこぞって真似した。
48
キャンディーズ
もとは1975年4月発売のアルバムに収録されていた1曲だが、ライブでのファンの反応の良さや事務所の若手スタッフ、ファンクラブの熱烈な支持もあり、翌1976年3月にシングルカット。作詞家の千家和也は、仮歌用に書いていた作曲者・穂口雄右の歌詞の出来の良さに、そのままで行くよう進言したという。チャート3位まで上昇し彼女たちの代表作となった。
47
奥村チヨ
「恋の奴隷」などのお色気歌謡で一世を風靡した奥村チヨは、同じ路線を続けることに悩み、新たな展開を模索していたところ、ディレクターの草野浩二からこの楽曲を提案され飛びついたという。過去を振り捨てる女の決意を歌ったこの作品は1971年12月に発売され大ヒットを記録。作曲の浜圭介にとっても出世作となり、のちに奥村と浜は結婚した。
46
郷ひろみ
1974年3月に発売された、郷ひろみの8作目のシングル。デビュー以来継続して楽曲提供をしてきた岩谷時子と筒美京平のコンビによる作で、初めて挑んだ軽快なロックンロールのメロディーに乗せ、一夜を過ごした男女の関係を「花」と「みつばち」に例える岩谷の詞も、これまでの王子様路線から一歩踏み込んだ、男女の恋愛を歌っている。
45
テレサ・テン
14歳で本国・台湾で歌手デビューしたテレサ・テンは、既にアジア圏でのスターであったが、1974年に日本でも歌手活動をスタートさせた。その第2弾が「空港」で、同年7月1日にリリース。デビュー作のポップス路線から一転、猪俣公章の作曲による演歌系歌謡曲が大きな支持を受けヒット、テレサは台湾、香港に続き日本でも活躍の場を得た。
44
ゴダイゴ
松本零士原作の同名テレビアニメの主題歌として、1979年7月に発売。東映アニメーションのプロデューサーが、実際にゴダイゴのライブを見て起用を決めたという。子供向けアニメの主題歌でサビが英語詞なのも異例のこと。作曲のタケカワユキヒデは次第に上昇していく旋律が、999号が宇宙へ飛び立つシーンを表現できているとのちに語っている。
43
山口百恵
1977年4月リリースの、山口百恵の17作目。デビュー曲「としごろ」以来16作ぶりにメジャー調のシングル曲で、イントロから幻想的なエレキギターの音色が響き、西海岸サウンドをイメージしたメロディーとアレンジも印象深い。4回登場する、締めの♪夜明け前です、のフレーズを、それぞれニュアンスを変え歌っている百恵の歌唱法にも注目。
42
桑名正博
ロック・バンド「ファニー・カンパニー」解散後の桑名正博は、1975年よりソロ活動を開始、1977年以降は松本隆・筒美京平コンビの作品を歌い続けてきた。1979年7月に発売されたこの曲は化粧品のCMソングとして流され、桑名に初のチャート1位をもたらした。2021年には松本隆トリビュートアルバム『風街に連れてって!』でB’zがカヴァーしている。
41
松原みき
松原みきのデビュー曲で、1979年11月に発売。作曲者林哲司の特徴でもある、メジャーとマイナーを行き来する中間色のメロディーも魅力的で、本作のヒットにより、林は80年代に売れっ子作曲家として開花する。2020年にはシティ・ポップ人気の高まりから、海外で同曲がカヴァーされるなど高い注目を集め、配信サイトでは2300万回以上の再生数を記録した。
40
郷ひろみ
1978年9月にリリースされた郷ひろみの28作目のシングル。阿木燿子の起用は、「お化けのロック」「禁猟区」に続き3度目、都倉俊一は「バイブレーション」以来2度目の起用となる。往年のショービズ風ムードを再現したゴージャスなサウンド、テレビ番組でのタキシード姿での歌唱など、エレガントな魅力を放つ、郷ひろみの新しい側面がみられる。
39
郷ひろみ・樹木希林
TBSのドラマ『ムー一族』は、ハプニング性とコントを組み込んだ“脱ドラマ”スタイルで人気を博したが、この曲は出演者の郷ひろみと樹木希林のデュエットにより、番組内で披露された。前年のドラマ『ムー』での「お化けのロック」に続く2人のデュエットで、穂口雄右によるトロピカル・ディスコ調のサウンドに乗せた、コミカルな振り付けも人気となった。
38
千昌夫
1979年は演歌のロングセラーを数多く生み出した年で、この曲もその1つ。1977年4月に発売されたのちも千昌夫は長くこの曲を歌い続け、1979年に入り人気に火が付いた。千は師匠である作曲の遠藤実の反対を押し切り、よれよれの外套にトランク、風呂敷包みを抱えた姿で歌い、視聴者に絶大なインパクトを与えた。遠藤にとっても代表作の1つ。
37
八代亜紀
個性的なハスキーボイスで人気を博した八代亜紀は、1971年のデビュー以来数多くのヒットを放ってきたが、初めて男歌に挑戦したのがこの曲。1979年5月の発売で、元はスポーツ新聞の連載「阿久悠の実践的作詞講座」の教材として作られた詞であった。大正期の流行歌「ダンチョネ節」からの本歌取りをしている。現在でも八代の代表作として人気が高い。
36
庄野真代
シンガー・ソングライター庄野真代の5作目で、初めて筒美京平作品を歌った。1978年4月の発売で、編曲の船山基紀がギリシャの民族楽器ブズーキを使用、ちあき哲也による語呂合わせの歌詞もユニークで、エキゾチックな世界観から音楽界にエスニック・ブームが起きる契機となった。歌詞に砂漠が登場するが、イスタンブールのあるトルコに砂漠はない。
35
沢田研二
ザ・タイガースからPYGを経てソロとなった沢田研二の6作目で、1973年4月に発売され、ソロとして初のチャート1位を獲得。安井かずみによる「年上の女(ひと)美しすぎる」という歌詞も絶大なインパクトがあり、70年代前半のジュリー作品を支えた、ワイルドワンズの加瀬邦彦によるロックンロール・スタイルのメロディーも秀逸。
34
大橋純子
1977年に「シンプル・ラブ」をヒットさせた大橋純子が初めて歌謡曲に挑んだのが、1978年8月発売の本作。夏と冬の二部構成で愛の破局を描く阿久悠の詞、カーリー・サイモン「You Belong to me」を意識したリズム・パターンを用いた筒美京平の曲調もまさに和製AOR。ドラマ『獅子のごとく』の主題歌に起用され、チャート2位の大ヒットとなった。
33
キャンディーズ
1973年にデビューしたキャンディーズは、大きなヒットに恵まれなかったが、1975年2月に発売されたこの5作目で初のTOP10ヒットを記録。作詞の千家和也が得意とする"ボーイフレンド紹介シリーズ"の一環で、当初はB面用に制作された。この曲よりリード・ボーカルが伊藤蘭に交代、スタンドマイクを使ったキュートな振り付けも印象深い。
32
内山田洋とクール・ファイブ
人気コーラス・グループ、クール・ファイブの14作目として1972年11月に発売。リード・ボーカル前川清のソウルフルな歌唱が最大限に活かされたナンバーで、歌い出しの♪神戸…のロングトーンが強い印象を残す。阪神淡路大震災の起きた1995年には、神戸の住民からの熱烈なリクエストで、NHK『紅白歌合戦』で前川がこの曲を歌唱した。
31
サザンオールスターズ
国民的バンド、サザンオールスターズの1978年6月発売のデビュー曲。前年の大ヒットである沢田研二「勝手にしやがれ」とピンク・レディー「渚のシンドバッド」を掛け合わせたタイトルで、歌詞の内容とは無関係。サンバのリズムに乗せた狂騒的なラテン・ナンバーは多くの人の心を捉え、ライブでは本編最後に歌われる定番曲として今も人気が高い。
30
山本リンダ
「こまっちゃうナ」のデビュー大ヒットの後、低迷していた山本リンダが、大人のセクシーな女性にイメージ・チェンジを果たした楽曲。当初は「恋のカーニバル」というタイトルだったが、曲のインパクトに合わせタイトルを変更。1972年6月に発売されると、へそ出しルックとハードな振り付けで視聴者の度肝を抜き、彼女の最大のヒット作となった。
29
堺正章
ザ・スパイダース解散後、ソロとして活動を始めた堺正章が、1971年5月にリリースした最初のシングル。北山修の爽やかで繊細な歌詞に加え、演歌に多いヨナ抜き音階のメロディーでありながら、洗練されたコード進行を施した筒美京平のメロディーも秀逸。TBSの人気ドラマ『時間ですよ』に出演中だった堺の人気も加わり、大ヒットとなった。
28
中原理恵
ファッショナブルな女性シンガー中原理恵のデビュー・シングル。先行してアルバムが発売されたが、シングル用の決定打に欠けていたため、CBSソニーの白川隆三ディレクターは松本隆と筒美京平に発注。歌の中で会話が始まる松本の斬新な作詞スタイル、フラメンコ・ディスコを用いた筒美アレンジも功を奏し、1978年3月に発売されTOP10ヒットとなった。
27
野口五郎
野口五郎の28作目のシングルで、1978年9月に発売。70年代中頃から海外録音を通して外国ミュージシャンとのセッションを頻繁に行っていた五郎は、こういったフュージョン風歌謡曲も自身の範疇にしており、筒美京平のメロウな曲調、高田弘によるAORテイストのアレンジも功を奏し、本人の洋楽志向と曲想がマッチした円熟の名曲が誕生した。
26
岩崎宏美
1976年5月に発売された岩崎宏美の5作目。2作目「ロマンス」以降、筒美京平によるディスコ歌謡を連打していた岩崎にとって、そのピークとなる傑作となった。デビュー以来のカタカナ・タイトルが初めて漢字となったことも話題に。彼女のストレートで伸びやかな高音域を活かしたハイテンションのアップ・チューンは現在でもDJ達に人気がある。
25
ピンク・レディー
デビュー以来1曲ごとにセールスを伸ばしてきたピンク・レディーが、まさに驚異的な人気を獲得したのがこの曲。海辺のアバンチュールという夏らしいテーマを掲げた阿久悠の詞に、都倉俊一のロックンロール調の軽快なメロディーも親しみやすく、日本中の小学生がこぞって振り付けを覚え真似するようになった。3作連続でチャート1位を記録している。
24
宮史郎とぴんからトリオ
音曲漫才のぴんからトリオが放った歴史的大ヒット曲。リーダーの宮史郎が作詞、メンバーの並木ひろしが作曲。当初は自主制作盤だったが、有線放送で人気が上昇し、コロムビアから発売されると爆発的なセールスを記録、宮の強烈なコブシ回しは“ど演歌”と呼ばれた。クラブで写されたジャケットに映る4人目、5人目の男性は、たまたま居合わせた客だったそう。
23
藤圭子
演歌の新星として彗星のごとく登場し、若者層にまで絶大な人気を誇った藤圭子の代表作。作曲家・曽根幸明が俗曲を採譜し補作した「夢は夜ひらく」が原曲で、1966年に園まりの歌唱でヒットした。♪15、16、17と 私の人生暗かった…と、藤自身の出生を歌っているかのような私小説的内容は多くの人の心を捉え、1970年の年間3位に輝く大ヒットとなる。
22
サーカス
男女2人ずつの4人組、サーカスの大ヒット曲。1977年のデビュー時は男性メンバーが異なり、本作より3人姉弟と従姉の構成となる。フランスのミッシェル・フュガン&ビッグ・バザールが1972年に発表した「愛の歴史」のカヴァーで、カネボウ化粧品のCMに起用されアルファレコード最初の大ヒットとなった。両手を挙げて歌う独特のポーズも印象に残る。
21
山口百恵
1978年5月に発売された山口百恵の22作目。「プレイバック」というタイトルから、テープの音が巻き戻るような曲を、という発想がもとになっている。数パターンの候補があったため「Part2」の仮題を敢えて付けたまリリースされた。「馬鹿にしないでよ」の名フレーズは、一晩で書き直しを依頼されたことへの、作詞・阿木燿子の感情が投影されているという。
20
岩崎宏美
岩崎宏美のデビュー2作目にしてチャート1位の大ヒット。ディレクター笹井一臣は、筒美京平が書いてきたバラード曲をアップテンポに変えることを提案、当時流行し始めていたディスコサウンドを取り入れ完成。B面曲となった「私たち」とはどちらをA面にするか岩崎を含めたスタッフ全員で多数決を取り、一票差で「ロマンス」がA面に決まったという。
19
八神純子
1978年9月に発売された八神純子の5作目で、彼女の最大のヒット曲。八神が原宿の歩道橋を歩いている際に、岩崎宏美の声で不意にメロディーが浮かび、当初は岩崎に提供するつもりで書いたという。テレビ出演ではパワフルなキーボードでの弾き語り、サンバホイッスルの使用も新鮮に映り、作詞の三浦徳子、編曲の大村雅朗ともに出世作となった。
18
麻丘めぐみ
麻丘めぐみの通算5作目にして、彼女の最大のヒット曲。「サウスポーはカッコいい」というコンセプトで千家和也が作詞、筒美京平がオールドタイミーな4ビートのハネた曲調で、明朗快活な麻丘の個性を存分に発揮させた。西条満による手のひらを回す個性的な振り付けも人気を博し、70年代アイドル・ポップスを代表する1曲として現在でも認知度が高い。
17
郷ひろみ
1974年9月に発売された郷ひろみの通算10作目で、デビュー以来継続して楽曲提供をしてきた筒美京平の作曲。筒美が得意とするイタリアン・ツイストの曲調に、初起用の安井かずみがリアルな男女の同棲生活を描き、当時18歳だった郷ひろみに青年のイメージを与えた。森岡賢一郎による歌謡曲タッチのアレンジも逆に功を奏し、チャート1位を獲得。
16
ジュディ・オング
1979年の日本レコード大賞に輝いた、ジュディ・オングの代表作。ワコールのCMソングとして流れた当初はノン・クレジットで、逆に話題を呼ぶ。エーゲ海の風景に女性の複雑な心理を重ねた阿木燿子の詞、筒美京平によるエキゾチックなメロディーと豪華なアレンジも功を奏し、爆発的なヒットに。両手を広げると扇状に袖が広がる純白のドレス姿も記憶に残る。
15
西城秀樹
1974年8月に発売された西城秀樹の10作目で、初期の代名詞的な1曲。前作「激しい恋」と同じ馬飼野康二の作編曲で、ドラマチックな歌い出しから一転してテンポ・アップするダイナミックな構成で、秀樹の絶唱型スタイルがここに確立した。翌1975年にはフランス語版も海外でリリースされ、カナダでは同地のヒットチャート2位にランクインしている。
14
アン・ルイス
1971年に歌手デビューしたアン・ルイスの初ヒット曲。彼女をスカウトしたなかにし礼による、男女の別れを美しく描写した切ない詞、平尾昌晃の芳醇なメロディーと相まって、彼女の初期の代表作となり、テレサ・テンをはじめアジア圏で数多くカヴァーされた。なかにしは後に生まれ故郷の満州を訪れた際、この曲が街角から流れるのを聞いて感激したという。
13
久保田早紀
久保田早紀のデビュー曲。もとは国立駅前の景色をイメージして書かれた「白い朝」という楽曲だったが、三洋電機のCMに起用され、中東の映像が流されることが決まったためシルクロードをイメージする楽曲として、プロデューサー酒井政利の案で「異邦人」と改題された。萩田光雄のエキゾチックなアレンジも功を奏し、チャート1位の大ヒットとなる。
12
キャンディーズ
キャンディーズは1978年4月4日、後楽園球場でのコンサートを最後に解散することが決定し、この曲が同年3月にラスト・シングルとして発売された。阿木燿子による、彼女たちのヒット曲のタイトルを織り込んだ絶妙な歌詞に加え、「春一番」など代表作を数多く手掛けた穂口雄右のメロディーも秀逸で、最初で最後のチャート1位を獲得する快挙となった。
11
森進一
演歌歌手の森進一が吉田拓郎から楽曲提供を受け、1974年1月に発売。拓郎の盟友である岡本おさみの歌詞に字余りのメロディーを乗せた、典型的な拓郎節の楽曲は、当初は反対も多かったものの、3番の歌詞に感動した森自身のプッシュもありA面曲として発表された。フォークと歌謡曲が初めて本格的な融合を果たし、同年の日本レコード大賞を獲得。
10
石川さゆり
元は1976年11月に発売された石川さゆりのアルバム『365日恋もよう』に収録されていた楽曲で、タイトルが先に決まり、三木たかしの曲先で制作された。三連のメロディーに絶妙な区切りで歌詞を載せ、わずか2行で上野駅から青森まで辿り着くドラマを描いた阿久悠の手腕も光る。1977年1月にシングル・カットされ、この年を通じてのロング・セラーとなる。
9
北原ミレイ
1970年10月に発売された北原ミレイのデビュー曲。作詞の阿久悠、作曲の村井邦彦共に、曲想をポルトガルの民族歌謡・ファドに求めており、北原も元は「銀巴里」などで歌うシャンソン歌手だった。不幸な女の半生を七五調で描いた衝撃的な歌詞は、時代背景と相まって大ヒットを記録。当初、幻の4番を含む5番構成だったが、2009年に完全版が発表された。
8
沢田研二
1975年8月に発売された、沢田研二の14作目。ジュリー本人が主演した、三億円事件の犯人をめぐるドラマ『悪魔のようなあいつ』の挿入歌として用いられ爆発的なヒットを記録。映画『カサブランカ』のテーマ曲と同名であるのは、阿久悠の「映画タイトルシリーズ」の一環で、ジュリーにハンフリー・ボガート的イメージを与えることに成功している。
7
南沙織
“元祖アイドル・シンガー”南沙織のデビュー曲。筒美京平が初レッスン室の際、彼女に何が歌えるかと聞き、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」と答えたことで、これをベースに曲が誕生した。実年齢を冠したタイトル、有馬三恵子の詞も瑞々しい輝きを放ち、1971年6月に発売されるとたちまち大ヒット。1989年には森高千里もカヴァーしている。
6
布施明
1979年1月にリリースされた布施明の42作目。「ガンダーラ」で大ブレイク中の、ゴダイゴのミッキー吉野が作編曲を手がけ、変拍子やディミニッシュ・コードを用いて凝りまくったメロディーを提供。ゴージャスかつダンディな布施明のイメージにふさわしい華やかな作品となり、カネボウ化粧品のCMソングに起用され大ヒット、布施の代表作となった。
5
沢田研二
ザ・タイガース時代からソロとしても幾多の大ヒットを飛ばした沢田研二の19作目で、1977年5月に発売。“男のやせ我慢”を描いた阿久悠の「映画タイトルシリーズ」の一環でもある。大野克夫のメロディーは当初16ビートのバラードだったが、現在の8ビートに変更。帽子を投げるパフォーマンスも話題を呼び、この曲で同年の日本レコード大賞を受賞した。
4
太田裕美
太田裕美のアルバム『心が風邪をひいた日』に収録されたナンバー。松本隆が書く、男女の会話で進行するストーリー性の高い詞に、筒美京平が爽やかなカントリー・ポップ調のメロディーを付けた。完成度の高さから新たなアレンジでレコーディングされシングル化。現在に至るまで日本のポップスを代表するスタンダード・ナンバーとして支持されている。
3
平山三紀
作曲家・筒美京平の秘蔵っ子である平山三紀(現・平山みき)の2作目で、1971年5月発売。ベースとコーラスが絡み合う斬新なイントロなど、メロディーとアレンジが一体化した筒美の楽曲作りの凄さに加え、強力なハスキー・ヴォイスから放たれる平山のヴォーカルも大きなインパクトを与えた。筒美の代表作として歌謡曲ファンに長く愛されている。
2
ちあきなおみ
歌謡史に残る歌姫、ちあきなおみの代表作。他界した恋人を思いステージで歌う歌手を主人公に、回想と現実が交錯する吉田旺の高度な詞に加え、「アメイジング・グレイス」や「蘇州夜曲」を念頭に置いた中村泰士の芳醇なメロディー。主人公に憑依するかのようなちあきの名唱もあり、1972年9月に発売されると爆発的にヒット。同年の日本レコード大賞を受賞した。
1
尾崎紀世彦
もとはエアコンのCMソングとして書かれた曲で、その後、ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」として発表されるがヒットには至らず。1971年に尾崎紀世彦のシングル2曲目として、阿久悠が新たな詞を付けてリリースされた。尾崎の日本人離れした歌唱力と、筒美京平のスケールの大きいメロディーが合致し大ヒットを記録。同年の日本レコード大賞に輝いた。
50
荻野目洋子
アンジー・ゴールド「素敵なハイエナジー・ボーイ」のカバーで、荻野目洋子の最大のヒットとなった。ユーロビートのダンサブルな曲調を、激しいステップで歌い踊る姿は、バブル期直前の煌びやかな日本を象徴するもの。その後、各地の盆踊りで愛され、2017年には「バブリーダンス」として再ブレイクし、ユーロビートは国民的ダンス・ミュージックに進化した。
49
大沢誉志幸
バンド「クラウディ・スカイ」を解散してソロ活動を始めた大沢誉志幸は、中森明菜や沢田研二への楽曲提供で注目されたが、1984年に発売されたこの曲が日清カップヌードルのCMに起用され大ヒット。当初、他の歌手に提供予定だったメロディーに、銀色夏生の詞を組み合わせる形で完成。静謐なサウンドとハスキーな声の融合による、珠玉の失恋ソングが生まれた。
48
松田聖子
松田聖子の13作目のシングル。作詞の松本隆の指名で、元はっぴいえんどの盟友・細野晴臣が聖子のシングルで初起用された。当時、Y.M.O.を組んでいた細野ならではのテクノポップに仕上がり、曲の途中で何度も転調を繰り返す超絶技巧の難曲を、聖子は見事に歌いこなしている。エンディングは、同じく元はっぴいえんどの大瀧詠一作曲の「風立ちぬ」と似た構成。
47
中森明菜
中森明菜に二度目の日本レコード大賞をもたらした、1986年の大ヒット。アップテンポのロック・ビートに乗り、増々磨きのかかったボーカルは、エンディングで強烈なビブラートをかけたロングトーンを披露し、明菜の代名詞的な歌唱法となる。歌番組ではボブのウィッグ、着物にハイヒールといった衣装で出演し、ビジュアル演出も図抜けていた。
46
田原俊彦
田原俊彦のシングル第2弾。デビュー曲「哀愁でいと」は洋楽カヴァーだったが、クラシックのピアニストだった宮下智の持ち込んだこの曲が2作目に採用。編曲の船山基紀はグレン・ミラー楽団のようなビッグ・バンドのジャズ・アレンジを施し、オールドタイミーな曲調を80年代アイドルと融合させた。ジャPAニーズを従えての華麗なダンスも記憶に新しい。
45
小林明子
音楽出版会社に勤務していた小林明子は、1984年に作曲家としてデビュー。この曲も当初は他の歌手用に作曲したものだったが、デモテープ用に吹き込んだ小林の歌声を聴いた作詞家の湯川れい子が、自身で歌うことを進言。ドラマ『金曜日の妻たちへⅢ・恋におちて』の主題歌に起用され大ヒットする。カーペンターズのカレンに声質が似ていることも話題になった。
44
稲垣潤一
デビュー3作目「ドラマティック・レイン」のヒットで人気シンガーとなった稲垣潤一の通算5作目。筒美京平&井上鑑のコンビによる、当時の洋楽トレンドだったアダルト・コンテンポラリーを日本のポップスに移植した、珠玉のサマー・ソング。売野雅勇の詞先行で書かれ、サビのタイトル部分を歌う箇所では、フェイクを伴った独特の歌い方がなされている。
43
佐野元春
佐野元春の4作目のシングルとして1981年6月にリリース。フィル・スペクター風の分厚い音作りを施した、メッセージ性の高いロック・ナンバーで、翌年に発売された同名のアルバムにも収録され、ライブ人気の高さとともに支持を集める。コンサートの定番曲であるほか、佐野の代名詞的ナンバーとしてエバーグリーンな魅力を放っている。
42
西田敏行
人気俳優の西田敏行は、歌手としても精力的に活動を続けており、この曲もシングルとしては6作目にあたる。西田主演のドラマ『池中玄太80キロ』第2シリーズの挿入歌として作られ、当初は主題歌「いい夢みろよ」のB面曲だったが、視聴者の反応の大きさからこちらが主題歌扱いとなり大ヒット。流麗なピアノの演奏は、羽田健太郎が担当している。
41
小泉今日子
キョンキョンの愛称で親しまれ、80年代アイドルのど真ん中を駆け抜けてきた小泉今日子の、27枚目のシングル。ディスコから派生したダンス・ミュージックであるハウスを、大胆に歌謡曲に導入したのは、作詞作曲編曲すべてを担った近田春夫。意表を突くイントロにも驚かされるが、無機質なビートにノーブルな小泉の声が乗り、時折キュンとする技巧を凝らす歌い方が、歌謡曲的味わいを残す。
40
アン・ルイス
歌謡ロックの名手として80年代を駆け抜けたアン・ルイスの24作目。年下の男との恋愛が、NOBODYと伊藤銀次のコンビによる強力なビートのハード・ロックで歌われている。全編通して強烈な印象を与えるギターは鳥山雄司と北島健二の競演。有線放送やカラオケでの支持が高く、1年通してチャートに在位するロング・ヒットとなった。
39
早見優
早見優のデビュー5作目にして、初のトップテン・ヒットを記録した代表作。熱海出身・ハワイ育ちで、英語に堪能な彼女の個性を存分に活かしたナンバーで、本人も出演したコカ・コーラCMのイメージソングとなった。爽快でスピード感あふれる筒美京平のメロディー、四人囃子の茂木由多加が施したテクノ風のアレンジも功を奏している。
38
少年隊
少年隊の通算7作目で、6度目の登板となった筒美京平を中心に、松本隆、船山基紀と最強の布陣で挑んだ。女性を華麗にエスコートする洗練された恋物語で、松本が生み出した“Angel Baby Cupid"の名フレーズに加え、滑らかに流れる芳醇なメロディー、すべての楽器を生と打ち込みの二重にして、分厚いサウンドを構築した船山の手腕にも圧倒される。
37
薬師丸ひろ子
薬師丸ひろ子自身が主演した映画『Wの悲劇』の主題歌。心中を思わせるかのような松本隆の崇高な歌詞に加え、作曲には呉田軽穂ことユーミンを初起用。ユーミン自身の作品でも良くみられる、浮遊感に満ちたコード進行を持つ曲調と、サビ部分に至るダイナミックな転調は、圧倒的にハイブロウな完成度を誇る。神秘性を湛えた薬師丸の歌唱法も、荘厳の一言。
36
安全地帯
安全地帯の4作目で、彼らの名前を一躍全国区にした大ヒット曲。バックバンドを務めた経験もあることから、井上陽水を作詞のみで起用。作曲も、という制作の星勝の提案を断り、リーダーの玉置浩二自身が作曲を手がけた。男女のラブ・アフェアが歌われた詞と、玉置の官能的なヴォーカルが奇跡的に溶け合い、成熟した大人のラブ・ソングとして親しまれた。
35
小林麻美 with C-POINT
70年代にアイドル歌手として活動していた小林麻美が、モデル、女優経験を経て8年ぶりに発表した楽曲。イタロ・ディスコの人気曲、ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」に松任谷由実が日本語詞を付けた。囁くような歌唱法は、アンニュイな魅力と相まってチャート1位の大ヒットに。ユーミンは小林を英仏の人気女優、ジェーン・バーキンに見立てたという。
34
高田みづえ
もとはサザンオールスターズのアルバム『タイニイ・バブルス』収録曲で、桑田佳祐が戦前の流行歌や往年の歌謡曲を再構築してメンバーの原由子に歌わせる、一種パロディ精神から生まれた一連の楽曲だった。これを高田みづえがカバーし大ヒット。デビュー曲をはじめカバーの多い高田だが、彼女が歌うことでストレートに歌謡曲として聴かれ、大ヒットとなった。
33
YELLOW MAGIC ORCHESTRA
80年代初頭に音楽シーンを席巻したテクノポップの中心的存在、YMOは1982年から活動休止状態になっていた。その音楽活動再開のきっかけとなったのがこの曲で、カネボウ化粧品のCMソングとして制作され、曲のイントロとAメロを坂本龍一が、Bメロとサビを高橋幸宏が作曲。甘酸っぱいサウンドとキャッチーなメロディー・ラインが受け、チャート2位のヒットとなった。
32
細川たかし
1982年のレコード大賞を受賞した、細川たかしの大ヒット。デビュー曲「心のこり」を手がけた、なかにし礼と中村泰士のコンビが、細川に再びポップス調の曲を提供。細川がレギュラー出演していた『欽ちゃんのどこまでやるの!』で毎週歌われたことで火が付いた。カラッと明るい声質、親しみやすいメロディーは、カラオケでも大人気となる。
31
松田聖子
松田聖子が本格的にブレイクするきっかけとなった、デビュー2曲目の大ヒット。前サビ構成のメロディーが、伸びやかでドライブ感のあるヴォーカルを存分に活かしている。その後、聖子の楽曲を多数アレンジしていく大村雅朗が、初めて編曲を担当したのもこの曲で、TOTO風のロック・アレンジは、従来の歌謡ポップスにはない斬新なサウンドだった。
30
欧陽菲菲
この時代、B面に収録された曲が人気となるケースが時々あった。欧陽菲菲のこの曲もその一例で、もとは1979年に発売された「うわさのディスコ・クイーン」のB面だった。アップテンポの曲が多かった菲菲はこの曲を気に入り、80年にはA面に昇格しロングセラーに。別れを前に泣く男を励ましつつ突き放すという、母性溢れる新しい女性像が描かれた名曲である。
29
島倉千代子
1955年にデビューした島倉千代子は、随所でポップス調の曲を歌ってきた。浜口庫之助による小刻みにリズムを刻むメロディーはまさにAORを通過した日本の歌謡ポップス。山田邦子らの物まねで有名になったが、島倉の半生を振り返るかのような中山大三郎の詞と、島倉のコケティッシュな魅力が活かされた曲であったことが、ヒットの最大の理由だろう。
28
大橋純子
70年代にソウル、シティ・ポップ系シンガーとして人気を得た大橋純子は、来生えつこ&たかお姉弟の書いた、メロウAORとも呼べるこの曲で大ヒットを記録する。サンリオから発売された同名の恋愛小説シリーズのイメージ・ソングで、大橋は抜群の声量と歌唱力といった自身の持ち味を抑え気味にして、切々と大人の濃厚な恋愛模様を歌っている。
27
上田正樹
ブルース・バンド「サウス・トゥ・サウス」で活躍した上田正樹が、ソロとなって初めての大ヒット曲。当初、作曲の林哲司は英語詞向けにメロディーを書いたが、作詞の康珍化から届いたのは、関西弁の女言葉による歌詞だったため驚いたという。上田のハスキー・ボイスから放たれるソウルフルな歌唱は圧巻で、有線から火が付き大きなヒットとなった。
26
中森明菜
中森明菜の11枚目のシングル。作曲には、フュージョン系ピアニストの松岡直也が起用され、松岡が得意とするラテン音楽の要素が取り入れられた。ラストの「アモーレ」3連発に見られるロングトーンは、その後の明菜を象徴する歌唱法となる。康珍化が当初書いた詞は、その後「赤い鳥逃げた」としてリリースされた。1985年の日本レコード大賞受賞曲。
25
竹内まりや
竹内まりやのシングル4作目で、デビュー曲以来の安井かずみ&加藤和彦夫妻が楽曲を手がけた。シャッフル・ビートの跳ねた曲調は、60年代にアメリカ西海岸で流行したサンシャイン・ポップ風。アルトの魅力的な声質とも合致し、まさにポップスの申し子にふさわしい完成度。資生堂春のキャンペーン・ソングとなり、最高3位のヒットを記録した。
24
チェッカーズ
チェッカーズの2作目のシングル。作詞の売野雅勇は、映画『アメリカン・グラフィティ』を見て曲想を思いつき、芹澤廣明がオールディーズ・スタイルの曲を付けた。当初デビュー曲のB面用に作られたが、結果、第2弾のA面となり大ヒットを記録。彼らを一躍人気バンドに押し上げた。アルバムには別バージョンを収録、一発録りのスタイルで録音されている。
23
石川ひとみ
1976年に荒井由実が新人アイドル三木聖子に提供した楽曲で、1981年4月に石川ひとみがカバー。これを発案したのはディレクターの長岡和弘で、編曲も三木版と同じ松任谷正隆に、前回とほぼ同じ形でのアレンジを依頼。見事TOP10ヒットとなり、現在に至るまで石川の代表曲となった。1996年にはユーミン本人も「荒井由実」名でセルフ・カバーしている。
22
少年隊
少年隊のデビュー曲。作家陣は絶対に1位を獲るという大命題のもと、当初、8ビートだった曲を筒美京平が16ビートに作り直し、歌い出しの「Tonight…」の部分も最初はなく、さらに大サビも加えるといった、修正に修正を繰り返している。編曲の船山基紀が試行錯誤の末に生み出した、意表を突く5拍子のイントロもインパクト絶大。
21
C-C-B
1983年にデビューしたココナッツ・ボーイズはヒットに恵まれず、この曲でグループ名をC-C-Bとして仕切り直し。彼らのディレクター渡辺忠孝は、実兄の筒美京平に作曲を依頼、筒美は松本隆の作詞を条件に引き受けた。ドラムの笠浩二の声質を筒美が気に入りボーカルに指名。ドラマ『毎度おさわがせします』の主題歌として広く浸透、起死回生の大ヒットとなった。
20
沖田浩之
竹の子族の人気者から、スカウトされ出演したドラマ『3年B組金八先生』で注目を集めた沖田浩之の歌手デビュー作。筒美京平による賑やかなチアガール風サウンド、阿木燿子による若者の隠語を取り入れた歌詞の大胆さに加え、鼻にかかった独特の声質も官能的。スマッシュヒットとなり、沖田は「ヒロくん」の愛称で、ハイティーン・アイドルとして活躍した。
19
中森明菜
中森明菜の通算10作目で、井上陽水が初起用された。コードを5つしか用いないシンプルな曲調ながら、シャッフルのリズムに乗った明菜のボーカルはノリも良く、「私は泣いたことがない」という出だしも、彼女の個性を見事に表現。バックの音だけを録音するオケ録りの際、陽水がスタジオに現れ、生演奏に合わせ自ら仮歌を入れたというエピソードがある。
18
中森明菜
中森明菜のデビュー曲で、4曲の候補の中から、来生えつこ&たかお姉弟による本作が選ばれた。ボーイ・ミーツ・ガールの瞬間を活写した鮮烈な歌詞とメロディアスな曲調、ピアノを主体にしたドラマチックなアレンジに加え、まだ初々しい明菜のボーカルが鮮烈な魅力を放っている。大きなヒットには至らなかったが、現在でもファンの支持が根強い1曲だ。
17
イモ欽トリオ
人気バラエティ『欽ドン!良い子悪い子普通の子』から誕生したイモ欽トリオのデビュー曲。当時YMOの細野晴臣が作編曲を担当、「ライディーン」風のイントロをはじめ、全編YMOのパロディとして作られた。先行して書かれた詞は、内向的な少年の報われぬ恋、という松本隆ならではの世界。テクノ歌謡の代表的な1作で、チャート1位の特大ヒットを飛ばした。
16
森進一
演歌歌手・森進一にしては異例のポップス調のナンバー。松本隆&大瀧詠一のコンビが担当し、「もしサルヴァトール・アダモに曲を依頼されたら」というイメージで制作された。松本は大瀧と作った「カナリア諸島にて」を意識しつつ、フランス映画のような大人の別れを描く。その後、松本は森に、細野晴臣と「紐育物語」、筒美京平と「モロッコ」を提供、三部作を完結させた。
15
シャネルズ
シャネルズのデビュー曲。ラジカセのCMソングとして制作され、商品名が「ランナウェイ」であったことから、オールディーズ風の曲を得意とする井上大輔(本名:井上忠夫)に作曲を依頼。タイトル通り、デル・シャノン「悲しき街角」(英題:Runaway)をイメージさせる楽曲となっている。シャネルズはこの曲のヒットで、和製ドゥー・ワップのグループとして、絶大な人気を誇った。
14
小泉今日子
小泉今日子のシングル第17弾で、アイドル時代の小泉を代表するナンバー。タイトルは公募により決定し、秋元康の詞は現実のトップ・アイドルが、アイドルの内実を歌うという画期的な内容で衝撃を与えた。編曲の鷺巣詩郎は、ヴァーチャルのライヴ感を表現しようと考え、途中に入る歓声も、小泉のコンサートでの親衛隊の声をサンプリングしている。
13
山下達郎
山下達郎の代表曲で、当初は1983年のアルバム『MELODIES』に収録されていた楽曲だった。バロック音楽に多いコード進行であることから、間奏にバロックの名曲「カノン」を用いており、バックのコーラスを1人アカペラのスタイルで録音している。1988年にJR東海のキャンペーンCMに起用され、大ロングセラーとなり、クリスマスの定番曲として親しまれている。
12
松村和子
松村和子のデビュー曲。1950年代に三橋美智也らが得意としていた望郷演歌のつくりで、その伸びやかな高音も絶品だ。松村はロングヘアで着物にパンタロン姿、津軽三味線をエレキ・ギターのようにかき鳴らす異色のスタイルで注目され、演歌歌手のデビュー曲としては異例の大ヒットを記録。1962年生まれで1980年デビューは、松田聖子と同い年の同期である。
11
松田聖子
松本隆から「ライバルに曲を書いてみない?」と、松田聖子への楽曲依頼を受けた松任谷由実は、呉田軽穂のペンネームを使うことを条件に快諾。スローな曲調は、聖子の喉の負担を考慮したもので、結果として歌唱表現の幅を広げ、この曲を機に同性のファンが増えた。歌詞中の「春色の汽車」とは湘南電車で、これに江ノ電の鎌倉高校前の風景を重ねたという。
10
中島みゆき
中島みゆきの11作目のシングルで、70年代の「わかれうた」に続き、2作目の首位獲得曲となった。彼女の初期作品を編曲した船山基紀が6年ぶりに起用され、明るい曲調に合わせ、深いエコーをかけ都会の夜のムードを演出。サウンドはジョン・レノンの「ラヴ」のピアノの響きを意識したという。アルバム『寒水魚』のバージョンは後藤次利によるロック調。
9
テレサ・テン
1984年より日本での活動を再開したテレサ・テンが、「つぐない」「愛人」に続き、荒木とよひさと三木たかしのコンビで発表。3作目にして初のメジャー調の楽曲となったが、許されぬ愛を歌う世界は変わらず。切々とした哀感溢れる名唱は、德永英明、由紀さおりら多くのカバーを生んだ。日本有線大賞で、史上初となる3年連続のグランプリを達成している。
8
忌野清志郎+坂本龍一
RCサクセションの忌野清志郎と、YMOの坂本龍一という、想像だにしない組み合わせによるコラボ楽曲。資生堂化粧品のCMソングとなり、話題を呼んだ。シンプルなロックンロールに、シンセによるテクノ風アレンジが加わり、2人のカラーがブレンド。1万円札をばらまき、2人のキス・シーンまであったミュージック・ビデオも強烈な印象を与えた。
7
松任谷由実
80年代のユーミン人気を決定づけた大ヒット曲で、薬師丸ひろ子の主演映画『ねらわれた学園』の主題歌として書かれた。女性が男性を「守ってあげたい」と表現する内容は、当時としては先進的な発想で、冒頭の幻想的なコーラスやサビ部分のファルセットなど、職人技を駆使した楽曲でもある。同作を収録したアルバム『昨晩お会いしましょう』も大ヒットした。
6
薬師丸ひろ子
薬師丸ひろ子の歌手デビュー曲で、彼女が主演した同名映画の主題歌。当初、来生たかお本人が歌う「夢の途中」が主題歌になる予定だったが、相米慎二監督の意向で薬師丸が同曲を歌うことになり、題名も歌の内容と無関係の映画名を使うことになった。正確な音程、ビブラートのない清らかな歌唱は新鮮な印象を与え、歌も映画も爆発的なヒットを記録した。
5
原田知世
筒井康隆のSF小説を原田知世主演で映画化。その主題歌として松任谷由実が書き下ろした。大切な者との永遠の別れを歌った、ユーミンのSFマインドが強く反映された曲で、映画本編のエンディングでは、劇中の撮影現場を繋いだミュージカル風の映像で歌われる画期的な演出も話題に。チャート2位の大ヒットとなり、原田は一躍トップ・スターとなった。
4
沢田研二
沢田研二の29作目で、80年代の幕開けを飾る1曲。ジュリーの初期ソロ作品を数多く手がけた加瀬邦彦が久しぶりに作曲、作詞には人気コピーライターとして注目を集めていた糸井重里が起用された。グラム・ロック風の曲はソロ時代の原点回帰である一方、煌びやかな時代の到来を予見するかのように、テレビでは電飾スーツにパラシュートを背負って歌った。
3
小林旭
長年の小林旭フリークである大瀧詠一が、念願叶って書き下ろした作品。「さすらい」「北帰行」といった小林の往年の寮歌・叙情歌の流れを汲むもので、阿久悠が書いた雄大なスケールと男のロマンを歌う詞に加え、前田憲男の豪華なストリングス・アレンジを聴いた小林は「ジョン・ウェインの世界だ」と喜んだという。「マキシム」のCMソングに採用された。
2
斉藤由貴
斉藤由貴のデビュー曲。松本隆と筒美京平のコンビが依頼を受け、斉藤のオーディション・テープを聴いた2人が、あみんの「待つわ」のカバーに触発され、言葉をしっかり伝える曲を、と意見が一致。武部聡志のデジタルとオーガニックを融合したアレンジも完成度が高い。松本はこの曲を、「木綿のハンカチーフ」のエピソード・ゼロ、と語っている。
1
寺尾聰
俳優であり、ザ・サベージのベーシストでもあった寺尾聰による、1981年の特大ヒット。松本隆によるハードボイルド路線の詞、寺尾のダンディズムを漂わせた、呟くようなヴォーカルも魅力的で、印象的なリフを繰り返すイントロは、井上鑑がアレンジ。演奏も井上を含むパラシュートのメンバーが参加。同年の日本レコード大賞を受賞している。
<2021年7月号>
【特集】昭和歌謡ベスト・ソングス100 [1970年代編]
定価880円(本体800円)
A5判224ページ
<2021年8月号>
【特集】昭和歌謡ベスト・ソングス100[1980年代編]
定価880円(本体800円)
A5判228ページ
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