月刊音楽雑誌「MUSIC MAGAZINE」執筆陣の投票によるランキング企画『Jポップ・ベスト・ソングス100』を番組化。1990年代のランクイン曲を独自解説付きで放送。本サイトでは、上位50曲を紹介します。解説:馬飼野元宏
90年代J-POPベスト・ソングス100 放送情報はこちら
50
椎名林檎
シンガー・ソングライター椎名林檎のシングル4作目。デビュー以来強烈なインパクトを残す楽曲を発表し、1作ごとに聴く側の期待値を上げてきた椎名だが、本作もまた刺激的かつ官能的な歌詞が衝撃を与え、ナース姿のコスプレでガラスを叩き割るPVも話題を呼んだ。彼女にとって初のミリオンセラーを達成し、幅広い層に彼女の存在が認知された。
49
松任谷由実
松任谷由実の通算24作目のシングルとして、1993年7月に発売。アルバムは毎年発表してきたユーミンだが、シングルのリリースは4年ぶりで、夫でプロデューサーの松任谷正隆とともに「ど歌謡曲をやろう」と決め、ザ・ピーナッツを思わせるラテン歌謡風のナンバーが完成。ドラマ『誰にも言えない』の主題歌になり、シングルでは初のミリオンセラーを達成する。
48
L'Arc〜en〜Ciel
L'Arc〜en〜Cielの10作目となるシングルで、1998年7月に「花葬」「浸食~lose control~」と合わせ、シングル3枚が同時発売された。作詞作曲を手掛けたhydeは、必要最小限の音数でメロディーを創作、ほぼオーバーダビングも行っていない、徹底してシンプルな3ピースのロックとして完成させた。現在に至るまで彼らの代表作として、広く親しまれている。
47
小沢健二
小沢健二の7作目のシングル。筒美京平との共作による楽曲で、当初はカップリングの「それはちょっと」をメインに制作を進めていたが、こちらの曲に愛着を覚えた小沢がタイトル・チューンに変更。サルソウル・ディスコ風のノリのいい楽曲で、ゴージャスな管弦のアレンジは服部隆之。歌謡界の大御所との異色のコラボは大きな話題を呼び、ヒットを記録する。
46
THE YELLOW MONKEY
1992年にメジャー・デビューしたTHE YELLOW MONKEYが、1996年2月にリリースしたシングル9作目。ヴォーカル吉井和哉がモット・ザ・フープル「すべての若き野郎ども」をモチーフに、三連のロッカバラードを書き上げた。急死した友人やツアー・スタッフに捧げた楽曲であると言われている。活動再開後の2016年に『紅白歌合戦』でもこの曲を披露している。
45
森高千里
ノベルティ風のロック・ナンバーとシンプルなバラードの両側面で魅力的な楽曲を発表し続けてきた森高千里の通算17作目。地図を広げてこの橋の響きの良さに惹かれ、全国ツアーの合間に同地を訪れた際に見た、夕陽の美しい光景をそのまま歌にしたという。森高屈指の名バラードとして長く愛され、足利市からも感謝状を贈られ、同地に歌碑も建立されている。
44
My Little Lover
1995年8月に発売された、My Little Loverの3作目。小林武史と当時のメンバー藤井謙二との共作で、最初に藤井が作って来たメロディーは難解ななかにも泣きの要素が強く出ており、これに小林がサビ後半のフレーズを加えるなどして完成に至った。チャート1位の大ヒットを記録し、マイラバの代表作のひとつとなった。ドラマ『終らない夏』主題歌。
43
サザンオールスターズ
サザンオールスターズの通算37枚目のシングルで、1996年5月にリリース。桑田佳祐の書いた歌詞の中でも際立って難解で、呪術のように謎めいた響きをもち、間奏ではインドネシア語も用いられている。この独特な言葉と土俗的なメロディー、リズムの絶妙な組み合わせは圧巻で、ドラマ『透明人間』の主題歌に起用され、ミリオンセラーの大ヒットとなる。
42
安室奈美恵
安室奈美恵が1996年3月にリリースしたシングルで、小室哲哉のプロデュース作品としては3作目にあたる。ミディアム・テンポのブラック・ミュージックを歌ってみたいという安室の希望に応え、トレンドだったヒップホップ・ソウル風のナンバーが完成。バック・ダンサーやコーラスにも黒人を起用し、安室のR&Bへの傾倒は、この曲から顕著になり始めた。
41
JUDY AND MARY
JUDY AND MARYの代表曲で、初のチャート1位を獲得する大ヒットとなった。アニメ『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』の初代オープニングテーマだが、タイアップの話が来て2日で完成させた楽曲だという。プロデューサーの佐久間正英は、意図的にアニメの内容と無関係の曲にしたと明かしているが、結果として平成アニソン名曲の1つに数えられている。
40
Mr.Children
前作『CROSS ROAD』でブレイクしたMr.Childrenの通算5枚目のシングルで、1994年6月に発売。CMソングとして依頼を受けたものの、桜井和寿は個人的な視点からの社会風刺を織り込んだ歌詞を書き上げ、メンバーらに絶賛されたという。広い音域をもつスケールの大きな楽曲で、最終的にダブルミリオン近い大ヒットとなり、同年の日本レコード大賞を受賞。
39
電気グルーヴ
電気グルーヴの3枚目のシングル。アルバム『VITAMIN』からのシングル・カットだが、もとはファーストアルバムの収録曲「無能の人(LESS THAN ZERO)」を、スタッフの要望でリメイクしたもの。歌詞は電気グルーヴの前身バンド「人生」が解散した当時の心情が歌われており、一部を書き直している。1994年2月に発売され、バンド初のスマッシュヒットとなった。
38
aiko
「花火」に続くaikoのメジャー4作目のシングルで、1999年11月の発売。硬い甲羅の下は柔らかいカブトムシを、虚勢を張って恋をする自身に例えたユニークな歌詞に加え、半音進行の多用やユニークなコードの付け方など、独特のメロディー・ラインも印象深い。aikoはカブトムシが夏の昆虫と知らず、冬の曲としてリリースしたというエピソードもある。
37
シャ乱Q
1988年に結成されたシャ乱Qのヒット曲で、1994年発売の「シングルベッド」がロングセラーを記録する中で1995年5月にリリースされた。ファンカラティーナ風のリズム、歌謡曲調のメロディー、失恋の思いを畳みかけるように歌う男の未練爆発の歌詞と、平成期ならではのネオ歌謡曲的要素が満載。150万枚近くを売り上げる彼らの最大のヒットとなった。
36
globe
1995年に小室哲哉、マーク・パンサー、KEIKOで結成されたグループglobeの4枚目のシングルで、96年1月1日に発売された。JR東日本「JR SKISKI」キャンペーンソングとして、15秒の短編映画のサントラというコンセプトで制作。CMバージョンはLAのスタジオで録音され、シングル盤用にその後日本で録り直した。ダブルミリオン越えの大ヒットとなる。
35
B'z
1988年にデビュー、90年代に幾多の大ヒットを放ったB'zが、1995年10月にリリースしたシングル18作目。シングル曲としては異例の、1分20秒もの長いストリングスのイントロが付けられている。中盤の女声ヴォーカルは宇徳敬子が担当。発売からわずか2週間でミリオンセラーを達成、B'zの代表作の1つとして現在でも多くのファンに愛されている。
34
広末涼子
90年代中盤、トップ・アイドルとして活躍した広末涼子は、1997年4月にこの曲で歌手デビューを果たす。歌のレッスンは未経験だったが、作者の竹内まりやが歌入れに立ち会いアドバイスしたという。軽快なモータウン・ビート、渋谷での初デートというキュートな歌詞が、10代男子のハートを捉え大ヒット。2019年には竹内自身もセルフ・カヴァーしている。
33
椎名林檎
前作「歌舞伎町の女王」で注目を集めた椎名林檎の3枚目のシングルで、1999年1月にリリース。椎名がまだ福岡に住んでいた時期に書かれた楽曲で、当時17才だった彼女のストレートな恋愛感情が描かれている。歌詞中にシド・ヴィシャスの名が登場するなど、振り切ったラブソングながら、女性層を中心に支持され、カラオケでも人気の楽曲となった。
32
THE BOOM
宮沢和史率いるTHE BOOMのシングル16作目。ブラジル音楽への傾倒をみせたアルバム『極東サンバ』からのシングル・カットで、1995年3月に発売された。日本製のサンバを作るというテーマで書かれた作品で、クイーカ、パンデイロなど様々なパーカッションが用いられた。高校生向けの音楽の教科書にも掲載されるなど、広い世代に親しまれている。
31
玉置浩二
1993年に安全地帯としての活動を休止した玉置浩二が、1996年7月にリリースした11枚目のシングル。プロデューサー須藤晃との共同制作で、バンドの活動休止以降の精神的に不安定だった時期のことを歌にしたと後に語っている。玉置自身も出演したドラマ『コーチ』の主題歌となり大ヒット、玉置のソロにおける代表作となった。
30
槇原敬之
1992年5月に発売された、槇原敬之の5枚目のシングルで、日本テレビ系ドラマ『子供が寝たあとで』の主題歌。当時、槇原のサポートキーボーディストをつとめていた本間昭光が、槇原に自身の失恋話を打ち明け、本間が元気になる曲を、と作ったのがこの曲だったという。2作前の「どんなときも」に続く、2度目のミリオンセラーを槇原にもたらした。
29
Chara
Charaの14作目のシングルとして、1997年4月にリリース。アレンジは初期からChara作品に大きくかかわって来た元“詩人の血”の渡辺善太郎が手掛けた。独特の柔らかなウィスパー・ヴォイスから放たれる、女の子の素直な感情を表現した歌詞は、同性の熱い支持を受け、YEN TOWN BAND名義でリリースされた前作に続きヒットを記録する。
28
CHAGE&ASKA
1991年7月に発売された、CHAGE&ASKAの27作目のシングル。フジテレビ系月9ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌として作られ、チャート誌では13週連続1位の記録的な大ヒットとなり、通算で300万枚近くを売り上げた。当初は主人公の男女が別れる設定だったドラマの脚本も、歌詞に沿ったハッピーエンドな内容に変更したという。
27
H Jungle with t
ダウンタウンの浜田雅功と小室哲哉のコラボレーションとして1995年3月に発売。小室は浜田の喋りを聴いて、声質やテンポにジャングルのリズムが合うと考え、レゲエ~ジャングルの流れで楽曲を制作。当時大ヒット曲を量産していた小室作品で、自身の曲が売れなかったら…と浜田は不安を覚えたそうだが、結果200万枚越えのメガヒットを記録する。
26
たま
80年代終盤からのバンド・ブームを牽引した『三宅裕司のいかすバンド天国』で、14代目イカ天キングとなった、たまのメジャーデビュー曲。1990年5月に発売されると、そのユニークな風体と、独創的な音楽センスは幅広い層から絶賛を受け、チャート誌での初登場1位をはじめ社会現象を巻き起こし、同年の『紅白歌合戦』にも出場を果たしている。
25
井上陽水
井上陽水の29作目のシングルで、1990年9月に発売。当初は荻野目洋子に提供する楽曲のB面に予定されていたが、同時期に映画『少年時代』の主題歌の依頼が、原作者の藤子不二雄Ⓐからあり、この曲を自身で歌うことにしたという。共作者の平井夏美とはプロデューサーの川原伸司のことで、ピアノは来生たかおが演奏。陽水の最大のヒットシングルとなった。
24
川本真琴
1996年に岡村靖幸作編曲の「愛の才能」でメジャー・デビューした川本真琴の3作目。自作による楽曲で、ミュージックビデオでは激しくアコギを掻き鳴らす姿がインパクトを与えた。レコーディングでのギター演奏は佐橋佳幸によるもの。アニメ『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』の2代目オープニングテーマに起用され、チャート2位の大ヒットを記録する。
23
MISIA
1998年2月にリリースされたMISIAのデビュー曲。作詞・作曲の島野聡は、筒美京平のアシスタントとして活動していた作家でもあり、自身のバンド時代に書いた作品だが、この曲を歌いこなせる歌手に出会うまで温めていたそうである。発売後はクラブ・シーンを中心に盛り上がりをみせ、日本における女性R&Bのブームが起こるきっかけを呼んだ。
22
DREAMS COME TRUE
DREAMS COME TRUEの11枚目のシングル曲で、1992年9月に発売。メンバーが出演していたフジテレビ系『うれしたのし大好き~Friday Night Live~』のオープニング・テーマにもなった。中村正人によるソウルフルなアレンジ、等身大女性のリアルな恋模様を描いた歌詞も相まって、チャート1位の大ヒットとなり、この曲でドリカム人気が爆発した。
21
高野寛
THE BEATNIKSのツアー・ギタリストを経て高橋幸宏プロデュースで1988年にデビューした高野寛。その4作目のシングルとして1990年2月に発売されたのが本作で、トッド・ラングレンがプロデュースを手掛けている。ドラム以外の楽器の基本的な打ち込みをすべて自身で行っており、間奏のスライドギターのソロも高野のプレイ。チャート2位の大ヒットとなった。
20
小泉今日子
1991年5月に発売された小泉今日子の32枚目のシングルで、自身も出演したドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌。80年代にはアイドルとして大活躍した小泉だが、この曲の数作前から自作詞でのシングルをリリースするようになり、ここでは父親を念頭に作詞をしたと後に語っている。彼女にとって初のミリオンセラーとなり、90年代の代表曲となった。
19
NOKKO
1991年にREBECCAを解散しソロ活動に入ったNOKKOの、ソロ最大のヒット曲。この時期、アーティストへの楽曲提供を積極的に行っていた筒美京平による美しいバラード曲で、2つのパートしかないシンプルな構成、テイ・トウワによるストリングスの音色を中心にしたシンセサウンドは、クラシック歌曲のような格調高さで、絶大なインパクトを与えた。
18
フリッパーズ・ギター
フリッパーズ・ギターの2作目のシングルで、1990年5月に発売された。小山田圭吾と小沢健二の2人体制になってから初の楽曲で、軽快なギターサウンドに加え、曲中に登場するスキャットは、イタリア映画『黄金の七人』のテーマ曲のサンプリング。こういった旧作へのオマージュも含め、渋谷系音楽を決定づけるナンバーとして注目を集めた。
17
フリッパーズ・ギター
フリッパーズ・ギターが1991年3月にリリースした通算5作目のシングルで、そのサンプリング志向を強く打ち出した楽曲である。当時、大幅な路線変更を果たしたと言われ、バンドブームの時代には異色に映ったが、この手法は同年7月のアルバム『ヘッド博士の世界塔』で一層顕著になる。マツダ・ファミリアのCM曲として広く知られることとなった。
16
小田和正
90年代に隆盛を極めたトレンディ・ドラマは、主題歌から数多くのミリオンヒットを生み出したが、そのきっかけとなったのがこの曲。小田和正のソロ6作目で、月9ドラマ『東京ラブ・ストーリー』の主題歌として制作。ドラマでは同曲のインストが頻繁にBGMとして使用され認知が高まり、最終的に1991年の年間1位を記録する特大ヒットとなった。
15
KinKi Kids
KinKi Kidsのデビュー曲。作詞の松本隆は、偶然KinKiの2人がテレビに映る姿を見て、壊れやすそうでしたたかな印象を抱き、「硝子」のイメージが閃いたという。山下達郎は、ジャニーズの楽曲を数多く手掛けた筒美京平が、今曲を書いたらという視点でメロディーを創作、2人に「40代になっても歌える曲」と伝えた。狙い通りミリオン越えの大ヒットを記録。
14
小沢健二
小沢健二が1994年8月に発表した2枚目のアルバム『LIFE』に収録された楽曲で、同年11月にシングル化。ポジティヴな歌詞とキャッチーな歌メロ、そしてブラスやストリングスを導入したソウルフルなサウンドに彩られた、ソロとしての代表作となった。弦アレンジは服部隆之、ホーンには東京スカパラダイスオーケストラが参加している。
13
サザンオールスターズ
サザンオールスターズの28作目のシングルで、1990年7月に発売。桑田佳祐が監督をつとめた映画『稲村ジェーン』の主題歌として作られ、当初、別の曲を主題歌にする予定が、この曲が映画のクランクアップ後に完成し、主題歌を変更して追加撮影を行った。夏の切ない恋を描いた桑田屈指の名バラードとして人気が高く、映画のサントラとともに大ヒットした。
12
電気グルーヴ
1997年3月にリリースされた電気グルーヴの8枚目のシングル。彼らの本来の路線であるテクノとは異なる、歌謡曲的なメロディーを持つ楽曲で、ベブ・シルヴェッティの「スプリング・レイン」をサンプリングしている。大衆性の高い楽曲となり、日産テラノのCMソングに起用されTOP10入り、彼らの最大のヒット曲となった。
11
大滝詠一
1997年11月に発売された、大滝詠一の12年ぶりのシングル。月9ドラマ『ラブ ジェネレーション』の主題歌として書かれ、長年オファーを出し続けたフジテレビの亀山千広プロデューサーの期待に応えた。作詞の「多幸福」とは大滝、亀山、演出の永山耕三の共同ペンネーム。タイトルは大滝がメンバーだった“はっぴいえんど”にかけている。ミリオンセラーに迫る大ヒットを記録した。
10
PUFFY
大貫亜美と吉村由美の女性2人組・PUFFYのデビュー曲で、1996年5月に発売。奥田民生が作編曲とプロデュースを手掛け、作詞には井上陽水が起用された。リズム感を重視した、意味のないフレーズが連続するシュールな歌詞は陽水ならではの世界で、デビュー曲にしてチャート3位の大ヒットとなり、これ以降奥田のプロデュースにより大ヒットを連発していく。
9
SMAP
1996年11月に発売された、SMAPの23枚目のシングルで、作曲の小森田実はシングル初起用。彼らの詞を数多く手掛けている森浩美は、風呂場で30分でこの詞を書きあげたそうで、当時のギャル語を歌詞に使用している。イントロの印象的なトランペットのフレーズ、聴く者を煽りまくるエクストリームなダンスビートは圧巻で、彼らのライブでも欠かせない楽曲となった。
8
UA
野性味を備えた強烈なハスキー・ヴォイスで、1995年のデビュー以来、音楽シーンに絶大なインパクトをもたらしたUAの代表作。デビュー以来彼女のプロデュースを手掛けていた朝本浩文の作曲で、1996年6月に4作目のシングルとしてリリースされロングヒットを記録。クラブ・ミュージックを音楽シーンのメインストリームに乗せた、歴史的な1曲である。
7
モーニング娘。
モーニング娘。を国民的アイドルにのし上げた大ヒット曲。通算7枚目のシングルとして1999年9月9日に発売。原曲は、つんくがもともとシャ乱Qに書いたがボツになった曲で、ダンス☆マンの編曲によるコミカル要素を含んだダンス・ナンバーは、その後のモー娘。の路線を決定づけた。随所に配された掛け合いのフレーズに加え、特徴的な振り付けも大流行した。
6
岡村靖幸
1986年にデビューし、EPICソニーの看板アーティストの一角を担っていた岡村靖幸が、1990年10月に発表した13枚目のシングル。バスケットボールを題材にした青春ソングで、ファンの間でも人気の高い胸キュン名曲。ストリングス・アレンジを清水信之が手掛けた。超絶長いタイトルゆえに、ファンの間では「あのロン」と呼ばれている。
5
小沢健二 featuring スチャダラパー
1994年3月に、小沢健二とスチャダラパーのコラボで発表されたナンバー。小沢のヴォーカルメインの「nice vokal」と、スチャダラのラップをメインにした「smooth rap」の、2つのバージョンがある。クラブミュージックの隆盛と、日本語ラップの盛り上がりの契機となった90年代を代表する1曲で、その後幾多のアーティストにカヴァーされている。
4
PIZZICATO FIVE
PIZZICATO FIVEが1993年4月に発表したシングルで、同年のカネボウ化粧品夏のイメージ・ソングとして制作された。作者の小西康陽は、"レヴュー"と"頬ずり"を歌詞に織り込んでほしいというクライアントのオーダーを聴いた瞬間、頭にサビ前のメロディが浮かんだという。レコード会社を移籍して初のシングルとなり、スマッシュヒットを記録。
3
スピッツ
スピッツの11作目のシングルで、1995年4月に発売。タイトルは草野マサムネがタイを旅行した際に印象に残った百貨店の名前からとったもので、歌詞中には登場せず、仮タイトルのまま採用された。イントロやサビで繰り返される印象的なアルペジオのフレーズはギターの三輪テツヤの考案。ミリオン超えの大ヒットで、彼らの出世作となった。
2
宇多田ヒカル
1998年12月にリリースされた宇多田ヒカルのデビュー作で、当時15歳の宇多田が自作した本曲は、FMでのヘビー・ローテーションや外資系CDショップでのプッシュもあり、感度の高い音楽ファンを中心に注目を集め、その日本人離れした独創的な作風が多くの人々に衝撃を与えた。最終的に200万枚の大ヒットとなり、彼女の存在は社会現象を巻き起こした。
1
Original Love
田島貴男率いるOriginal Love の5枚目のシングルで、1993年11月に発売され、ドラマ『大人のキス』の主題歌となった。ジャジーな曲調と大人の恋愛模様が描かれた歌詞は、田島の美声もあってセクシーな魅力を放つ。アルバム・ヴァージョンは歌い出しをカットしてイントロが加えられている。2022年のTikTok上半期トレンドとしてバズったことも記憶に新しい。
<2022年10月号>
【特集】1990年代 Jポップ・ベスト・ソングス100
定価880円(本体800円)
A5判224ページ
(株)ミュージック・マガジン http://musicmagazine.jp