70年代Ranking 70s監修 金澤寿和

  • 50

    RAINY WALK山下達郎

    山下達郎が「Ride On Time」でブレイクする直前、79年10月に発表した通算4枚目のアルバム『MOONGLOW』の収録曲。達郎お気に入りであるノーザン・ソウルのミディアム・グルーヴを、細野晴臣=高橋ユキヒロのYMOリズム・セクションが軽くハネるように料理している。元々はアン・ルイスに提供するため制作が進められたが、気に入ったので自分で歌うことにしたそうだ。当時の山下達郎の曲作りのパートナー、吉田美奈子の詞にも注目を。

  • 49

    City Lights by the Moonlights惣領智子

    70年代前半に米国で活動し、ポール・マッカートニーから楽曲提供を受けたグループ:ブラウンライスのシンガーだった惣領智子。そんな彼女のセカンド・ソロ・アルバムのタイトル曲がこれ。作編曲はバンド・リーダーで当時の夫、惣領泰則。彼のゴージャズなアレンジと智子の麗しい歌声が絶妙のマッチングを聴かせる。智子は後に、同じブラウンライスのフロントだった日系米国人シンガー:高橋真理子とTINNA(ティナ)というデュオでヒットを出した。

  • 48

    チャタヌガ・チューチュー細野晴臣

    75年、YMO結成前の細野晴臣が発表したトロピカル3部作の1作目『トロピカル・ダンディー』から。ビーチ・ボーイズに近いヴァン・ダイク・パークス、エキゾチックなラウンジ・ミュージック第一人者マーティン・デニーの影響を受け、独自のチャンプルー・ミュージックを提唱。グレン・ミラー楽団が1941年に大ヒットさせたこの曲を、サンバの歌姫カルメン・ミランダ版でカヴァーした。ティン・パン・ファミリーや吉田美奈子が参加。

  • 47

    シンプル・ラブ大橋純子&美乃屋セントラル・ステイション

    「たそがれマイラブ」や「シルエット・ロマンス」など、一般的には歌謡ヒットのイメージが強い大橋純子。でも実はソウル・ミュージック大好きのファンキー姐ちゃんで、小柄なボディに漲るパワー・ヴォイスには定評がある。そうした自分のバック・バンド:美乃屋セントラル・ステイションを率いての初シングルが、このノリノリのディスコ歌謡。ディスコでプレイされた初の日本語曲とも言われ、後から英語ロング・ヴァージョンが作られた。

  • 46

    ドリーミング・デイナイアガラ・トライアングルVOL.1

    大滝詠一と元シュガー・ベイブ組の山下達郎、伊藤銀次による企画盤『ナイアガラ・トライアングル Vol.1』の1曲目。シングル・カットされた「幸せにさよなら」のカップリングに選ばれた明るい楽曲で、作詞:大貫妙子、作曲/ヴォーカル:山下達郎、演奏陣にも元シュガー・ベイブのメンバーが揃っており、幻に終わった彼らの第2作の残り香が漂う。中間部の楽しいコーラスは吉田美奈子によるもので、達郎が敬愛するラスカルズの影響がクッキリ。

  • 45

    ロンリーマンSHOGUN

    実力派スタジオ・ミュージシャンたちが結成したSHOGUNは、世界進出を睨んで米ABC-TVの音楽番組『アメリカン・バンドスタンド』にも出演した6人組。79年にデビューし、TVドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌「男達のメロディー」がヒット。立て続けに松田優作主演『探偵物語』のテーマであるこの曲で人気を爆発させた。ホーンを効かせたサウンドに、英詞によるダンディな芳野藤丸の歌声、ドラマのハード・ボイルド感が絶妙にマッチング。

  • 44

    ほうろう小坂忠

    細野晴臣や松本隆がはっぴいえんど以前に組んでいたエイプリル・フールのシンガー。71年にアルバム『ありがとう』でデビューし、翌年から林立夫や松任谷正隆、後藤次利らと“小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ”(四畳半の意)として活動した。75年に細野プロデュース&アレンジ、ティン・パン・ファミリー演奏による名盤『HORO』を発表。細野の作詞・作編曲によるこの表題曲は、まさに和製R&Bの先駆けとして注目され、カヴァーされる機会も多い。

  • 43

    おいらぎゃんぐだぞ南佳孝

    シティ・ポップの大物シンガー・ソングライター:南佳孝の、73年のデビュー曲。松本隆がプロデュースした1stアルバム『摩天楼のヒロイン』に収録され、歌詞の舞台設定はすべて松本のアイディア。ホーンやストリングスを配したハイセンスなアレンジは、松本と矢野誠の手に拠る。松本にとっては、はっぴいえんど解散後の作詞家/プロデューサーとしての本格的第一歩であり、日本のポップス史に輝く歴史的名盤との誉れ高い。

  • 42

    日付変更線南佳孝

    78年7月にリリースされた5枚目のシングル・トラックで、初期名盤として名高い『SOUTH OF THE BORDER』収録曲。作詞が松任谷由実、アレンジが坂本龍一、そして演奏陣には坂本以下、細野晴臣・林立夫・鈴木茂・斉藤ノブ・浜口茂外也というティン・パン・ファミリー総出演。更に大貫妙子とデュエットにというゴージャスな陣容に驚かされる。少しレイジーなボサノヴァからスタートする、南らしいセンシティヴな構成を持った人気曲。

  • 41

    北京ダック細野晴臣

    48位にランクされた「チャタヌガ・チューチュー」同様、細野が75年に発表した『トロピカル・ダンディー』収録曲。ただしアルバム・ヴァージョンと76年に出たシングルではテイクが異なり、前者はバイヨン、後者はアフロ・キューバンなアレンジを施していた。チャイナ・エッセンスを感じさせる点はシティ・ポップよりYMOに繋がるところで、当時は周囲や音楽ファンを大いに戸惑わせたが、演奏陣はやはりティン・パン・ファミリー。

  • 40

    電話線矢野顕子

    76年に発表された矢野顕子の衝撃的デビュー作『JAPANESE GIRL』収録曲。リトル・フィートがバックアップしたアメリカン・サイドに収められ、ローウェル・ジョージの滑空するスライド・ギター・ソロが楽しめる。純邦楽的要素をちりばめたアルバムなので、従来のシティ・ポップ・イメージからはかけ離れるが、このアルバムの中ではモダンな楽曲。ハイブリッドな都市型サウンドと考えれば納得だろう。彼女の個性は既にこの頃から確立していた。

  • 39

    星くず久保田麻琴と夕焼け楽団

    細野晴臣を共同プロデューサーに迎えてハワイでレコーディングした76年作『ディキシー・フィーバー』からの先行シングル曲。作詞・作曲は夕焼け楽団のギタリスト:藤田洋麻。終始曲をリードしていくエレキ・ピアノは、ゲスト参加のロニー・バロン(ポール・バターフィールド・ベターデイズ出身)が弾いている。そうした組み合わせの通り、細野のチャンプルー・サウンドに呼応したニュー・オリンズ・スタイルの仕上がりが特徴的だ。

  • 38

    まちのうたBUZZ

    BUZZはクルマのCMソングで、その車種の代名詞にもなった大ヒット曲「ケンとメリー(愛と風のように)」で知られるフォーク・デュオ。そのセカンド・アルバムで74年発表『レクヰエム』に収録されている。作曲はメンバーの小出博志、アレンジは高橋幸宏の兄:高橋信之。タイトルに違わず、当時の楽曲としては斬新なほどの洋楽センスを持っていた。BUZZのバック・バンドには幸宏や小原礼など、後年のサディスティック・ミカ・バンドのメンバーが。

  • 37

    ムーンライト・サーファー石川セリ

    井上陽水夫人として知られ、モデル経験もある日米ハーフの美形シンガー、石川セリ。彼女が豪華作家陣を迎えて77年に発表した3枚目のアルバム『気まぐれ』収録曲で、後にシングルにも切られたセンチメンタルな名曲。作曲は意外にも頭脳警察のパンタこと中村治雄で、レゲエのリズムを取り込んだ洒脱なアレンジは、アルバムをプロデュースした矢野誠による。イントロのピアノは矢野顕子。後年、桑名晴子もカヴァーしている。

  • 36

    影になって松任谷由実

    ユーミンの通算8作目、結婚後4作目にあたる79年作『悲しいほどお天気』に収録されたAORチューン。リ・スタート直後の彼女は年2作のハイペースでアルバムを作り、これも人気作『OLIVE』から4ヶ月あまりで発売。しかし前作の明るいイメージからは一転、私小説的内容を持ち、世田谷区成城周辺の情景をアダルトなサウンドに乗せて内省的に描いている。ユーミンらしいコード進行の妙と松任谷正隆の緻密なアレンジによる夫婦随伴の隠れた名曲。

  • 35

    レインボー・シー・ライン吉田美奈子

    ショーボートから73年にアルバム『扉の冬』でデビューした吉田美奈子が、村井邦彦プロデュースでRCAから出した再デビュー盤『MINAKO』に収録。自作曲に大滝詠一やユーミン提供曲、細野晴臣カヴァーなどを歌っているが、一番光るのが多くのアレンジを担当した佐藤博の提供曲で、中でもコレがダントツに魅力的。きっと彼のR&Bセンスが、まだ美奈子の心の奥に眠るソウル・センスと共振したのだろう。バックはもちろんティン・パン・ファミリー。

  • 34

    パレードナイアガラ・トライアングルVOL.1

    大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次による『ナイアガラ・トライアングル Vol.1』から、「ドリーミング・デイ」に続いてのランクイン。作詞・作曲・編曲すべて山下達郎の手による楽しい曲で、シュガー・ベイブに2作目があったらコレがリード・トラックになっただろう。実際デモ録音やライヴ音源は存在し、シュガー・ベイブ『SONGS』再発の度にボーナス収録されている。そのタイミングでTV番組『オレたちひょうきん族』のエンディングにも使用された。

  • 33

    こぬか雨伊藤銀次

    ナイアガラ・ファミリーの重要人物で、後にプロデューサーとして成功する伊藤銀次の初ソロ『DEADLY DRIVE』(77年)より。シングル「風になれるなら」のB面曲でもある。元々は銀次が組んでいたバンド“ごまのはえ”に書いたバラードで、シュガー・ベイブ加入後に山下達郎が歌詞を修正、アップ・テンポで演奏、ソロ制作時に再びスロウへ戻された。コーラスは大貫妙子。紀の国屋バンドの高崎昌子、アレンジャー清水信之らのカヴァーもある。

  • 32

    Solid Slider山下達郎

    今でも山下達郎のライヴ定番になっている初期名曲。リズムの面白さ、AORっぽいアレンジを狙い、77年のセカンド・アルバム『SPACY』に収録されてラストを飾った。坂本龍一のエレキ・ピアノ・ソロ、大村憲司のギター・ソロなど、ダイナミックなバンド・サウンドをフィーチャー。ライヴ・アルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』でもハイライトになっている。エディット・ヴァージョンは82年のベスト・アルバム『GREATEST HITS』に収録。

  • 31

    Windy Lady山下達郎

    これも山下達郎ライヴで定番化した初期名曲。シュガー・ベイブ時代からしばしばステージで演奏され、ライヴ音源も残されている。そのあと76年のソロ・デビュー作『CIRCUS TOWN』のニューヨーク録音に採用。名匠チャーリー・カレロのアレンジにより、グループ時代とは違ったアップ・テンポのハネたグルーヴに生まれ変わった。これもライヴ盤『IT’S A POPPIN’ TIME』に収録。元はシカゴの通称ウインディ・シティのイメージで書かれた曲である。

  • 30

    冥想尾崎亜美

    76年に登場したシンガー・ソングライター尾崎亜美の、フレッシュなデビュー・シングル。録音当時は18歳で、プロデュースが松任谷正隆だったことから、ポスト・ユーミン、ユーミンの妹分として注目された。半年後に発売された1stアルバム『SHADY』に収録。最初のヒットは翌年化粧品のCMソングになった「マイ・ピュア・レディ」だったが、今ではシティ・ポップ然とした都会型グルーヴを持っているコチラの方が人気が高い。

  • 29

    Love Space山下達郎

    77年発表の2ndソロ・アルバム『SPACY』の冒頭を飾った、初期人気ナンバー。作詞とバック・ヴォーカルに吉田美奈子、演奏陣に村上ポンタ秀一(ds)、細野晴臣(b)、松木恒秀(g)、佐藤博(key)、斉藤ノブ(perc)他という、今では考えられない豪華布陣で録られ、最近もしばしばライヴ・ツアーで取り上げられる。イントロの佐藤のピアノは、思い付きでいきなり本番でプレイされたもの。達郎の歌ヂカラも凄まじい。

  • 28

    Gardenia加藤和彦

    78年に発表された加藤和彦のソロ4作目『ガーディニア』のタイトル曲。英国でも注目されたサディスティック・ミカ・バンドが解散し、新たな方向性を模索していた彼が、マッスル・ショールズ録音『それから先のことは』に続いて挑んだのが、ソフト・ラテンな和製ブラジリアン・サウンドだった。編曲は坂本龍一で、高橋幸宏や後藤次利といったミカ・バンド勢、鈴木茂らが参加。ウィスパー・ヴォイスはジャズ・シンガーの笠井紀美子。

  • 27

    レッツ ダンス ベイビー山下達郎

    元々はキングトーンズに提供された楽曲で、流行歌の大御所作詞家:吉岡治の詞に曲をつけたもの。78年末リリースの4作目『GO AHEAD!』にセルフ・ヴァージョンとして収録され、翌年山下の初シングル・カットに選ばれた。現在はライヴ定番として知られ、発表時から現在に至るすべてのライヴ・ツアーでプレイし続ける唯一の曲になっている。2ndヴァースのピストル音に合わせ、オーディエンスがクラッカーを鳴らすのもスッカリ定着。

  • 26

    プールサイド南佳孝

    70年代代表作『サウス・オブ・ザ・ボーダー』(78年)に収録された、極上のメロウ・ミディアム。アルバム全編のアレンジ/キーボードを坂本龍一が担当。『日付変更線』B面曲としてシングル・カットされたが、そのトロケんばかりの心地良さで、今ではそれを凌ぐ人気曲となった。サポートは細野晴臣、高橋幸宏のYMOチーム+ティン・パン・ファミリーの鈴木茂や林立夫など。来生えつこの歌詞も独特の都市感覚を築いている。

  • 25

    ソバカスのある少女TIN PAN ALLEY

    細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫から成るミュージシャンズ・ユニットがティン・パン・アレー。前身時代のバンド名“キャラメル・ママ”を掲げた初アルバムを75年に出したが、その実バンド作というより4人のソロ曲を1枚にまとめた感が強い。その中で鈴木茂が主導権を握り、自らの代表曲としたのがコレ。彼の1st『BAND WAGON』以後のドラスティックな音楽性の変化を先導した和製ボサとして印象深い。掛け合いのゲスト・ヴォーカルは南佳孝。

  • 24

    蜃気楼の街シュガー・ベイブ

    アルバム1枚で消滅した幻のグループながら、山下達郎と大貫妙子の出身バンドとして不動の地位を築いているシュガー・ベイブ。その『ソングス』は、「DOWN TOWN」「SHOW」など山下楽曲の明るいイメージが強いが、それと対称的に繊細な心象風景を描くのが大貫によるこの曲である。彼女の存在を静かにアピールし、同時にその後のソロ活動の出発点にもなった。彼女は80年のソロ作『ROMANTIQUE』でも再演。本人お気に入りの曲でもある。

  • 23

    インボー・シー・ライン佐藤博

    吉田美奈子が詞を書いた共作曲で、彼女の2nd『MINAKO』(75年)に収録されたヴァージョンがオリジナル。翌年リリースされた佐藤の初ソロ・アルバム『SUPER MARKET』に、セルフ・カヴァーとして収められた。彼はティン・パン・アレー周辺で活躍したキーボード奏者で、しばしば松任谷正隆の代役を務めて注目された。レコーディングはLAで、エイモス・ギャレットやジェイ・グレイドンなど西海岸の敏腕ミュージシャンが参加している。

  • 22

    サブタレニアン二人ぼっち佐藤奈々子

    レイジーなウィスパー・ヴォイスとゆるふわキャラクラーの持ち主:佐藤奈々子は、今では元祖渋谷系とも謳われるシンガー・ソングライター。学生時代に出会ったデビュー前の佐野元春に強い影響を受け、曲作りに開眼。その中で生まれたこの2人の共作曲は、名匠:大野雄二のアレンジを経て、77年のデビュー・アルバム『ファニー・ウォーキン』に収録。近年、クラブ・シーンでの再評価も高い。80年代はSPYで活躍。後に写真家としての顔も。

  • 21

    サマー・コネクション大貫妙子

    シュガー・ベイブ解散後の2ndソロ・アルバム『SUNSHOWER』(77年)からの先行シングル。ただしアルバムとシングルではテイクが異なり、スタッフのメンバーとして来日中だったクリス・パーカーがドラムを叩いたアルバム・ヴァージョンは、軽快で大らかなノリを強調。対してシングルは、性急なテンポを持ったグルーヴィーな仕上がりになった。ター坊にはヨーロッパ・テイストの耽美的印象が強いが、ソロ初期の彼女は、よりシティ・ポップらしい音を奏でている。

  • 20

    微熱少年鈴木茂

    はっぴいえんど解散後の初ソロ作『BAND WAGON』(75年)の人気曲。細野晴臣や林立夫とのティン・パン・アレイに籍を置きつつ、単身サンフランシスコ〜LAでレコーディングしたこのソロ作は、まさにロック・ギタリスト:鈴木茂の集大成だ。クラヴィネットで駆け抜けるグルーヴはシティ・ファンクと呼ぶに相応しく、そこに彼のスライド・ギターが滑空する。それでいて歌詞の世界観は、松本隆が綴る風街スタイル。以後鈴木はアレンジャー志向を強めることに。

  • 19

    クリスタル・シティ大橋純子&美乃屋セントラル・ステイション

    「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」のヒットで歌謡曲のヒット・シンガー的イメージも強い大橋純子。しかしその本質は、自前の実力派バンド:美乃屋セントラル・ステイションを率いてダイナミックなヴォーカルを聴かせるポップ&ファンキー路線にある。この曲は77年に発表された彼女4thアルバムのタイトル曲で、優美な都市感覚を想起させるメロウ・ミディアム。美乃屋の初代ギタリストは、後にロックバンド:一風堂で活躍する土屋昌巳である。

  • 18

    バイブレイション笠井紀美子

    60年代後半からジャズ・シンガーとして活躍していた笠井紀美子が、かまやつひろしのプロデュースでニュー・ロックに挑戦したのが72年作『アンブレラ』。そしてその5年後の77年、『TOKYO SPECIAL』で艶やかなシティ・ポップにトライ。その中に収録された本作は、山下達郎の提供曲だ。元々は細野晴臣が制作する黒人シンガーに提供したが、お蔵入りしたため、それに安井かずみが日本詞をつけて笠井が歌った。達郎自身も『GO AHEAD!』で英語版を歌っている。

  • 17

    風になれるなら伊藤銀次

    シンガー・ソングライター/ギタリストで、アン・ルイスや沢田研二の編曲家、佐野元春やウルフルズのプロデューサーなど多くの顔を持つ伊藤銀次。最初は大滝詠一のナイアガラ・レーベルからバンド:ココナツ・バンクでデビュー予定だったが、その前に解散。シュガー・ベイブに参加した時期もあって、76年には大滝、山下達郎と『ナイアガラ・トライアングル Vol.1』を発表した。これは77年の初ソロ作『DEADLY DRIVE』のリード曲で、ボズ・スキャッグスを意識して書かれている。

  • 16

    夢で逢えたら吉田美奈子

    CD4枚80曲以上の「夢で逢えたら」だけを収めたユニークなカヴァー全集まで誕生したシティ・ポップ・クラシック。大滝はこの曲をアン・ルイス用に書いたが、76年作『FLAPPER』に収録されたこの美奈子版が初録音で、その後のカヴァー版のベースになっている。同じく有名なシリア・ポール版は、この1年後。だが美奈子自身は既にソウル志向を強めていたため、典型的ナイアガラ・サウンドのこの曲のシングル化を拒み、78年まで発売が先送りされた。

  • 15

    SHININ'YOU、SHININ'DAYChar

    日本のロック・ギタリスト代表選手というイメージのCharだが、初期3枚のアルバムはどれも洗練されたクロスオーヴァー・スタイルの都市型ロック。シングルは思い切りポップな歌謡ロック路線を敷いていた。1stアルバムのオープニングを飾ったこの名曲は、デビュー・シングル『ネイビー・ブルー』のB面曲でもあったが、それぞれテイクが違い、ボズ・スキャッグスに倣ったと思しきAORスタイルはアルバム・ヴァージョンの方が完成度が高い。

  • 14

    COBALT HOUR荒井由実

    ユーミンがまだ荒井姓だった75年に発表した3rdアルバムのタイトル曲。アルバムからは先行シングル「ルージュの伝言」がヒットし、ハイ・ファイ・セットに提供した「卒業写真」のセルフ・ヴァージョンも人気を集めたが、こうしたフロア・フレンドリーなグルーヴ・チューンが上位にくるのが現在のシティ・ポップ事情を反映している。演奏は後に夫となる松任谷正隆(key)や細野晴臣(b)を含むティン・パン・アレー・ファミリー。

  • 13

    September竹内まりや

    現役女子大生シンガーとして、学生アイドル的にデビューした竹内まりやの初期代表曲。79年に3枚目のシングル曲として発表され、半年近くチャートに止まるロング・ヒットになって、同年の日本レコード大賞新人賞を受賞している。それを受けて翌年の3枚目のアルバム『LOVE SONGS』に収録。印象的なコーラスは、まりやのツアー・バンドで歌っていたEPOのアイディアと言われる。作編曲を担当した林哲司の出世曲のひとつ。

  • 12

    流星都市小坂忠

    和製R&Bの草分けと言われるシンガー:小坂忠の代表作『HORO』(75年)からのメロウ・ミディアム。作詞:松本隆、作編曲:細野晴臣、演奏:ティン・パン・アレーというファミリー総掛かりの楽曲で、小坂が元々はっぴいえんどの前身であるエイプリル・フール(細野・松本が在籍)のシンガーだったことを思い出させる。ただし『HORO』以前に出した3枚のソロ・アルバムは、いずれもフォーキーな内容。洗練度が高くなったのは『HORO』からだ。

  • 11

    私自身いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー

    「ブルーライト・ヨコハマ」でお馴染みの人気歌手いしだあゆみと、細野晴臣・鈴木茂・林立夫・佐藤博らのティン・パン・ファミリーがガップリ四つに組んだ共演作『アワー・コネクション』(77年)より。作編曲は細野、歌詞は歌謡曲系の大御所:橋本淳で、曲名通りにいしだ自身の内面をさらけ出すようなスタイル。後に女優として大成する人らしく、抑えた色香が楽曲からフツフツと立ち上る。その辺りが都市型ポップスとしての企画作を成功させた。

  • 10

    THE TOKYO TASTEラジ&南佳孝

    女子高生フォーク・グループ:LOWでデビューし、改名後のポニーテールを経て、77年に『HEART TO HEART』でソロ・デビューしたラジ。そこで南佳孝とデュエットしたのが、エレガントなこの曲だ。オリジナルは作曲した後藤次利や高橋ユキヒロが在籍するサディスティックスで、数ヶ月先行したそちらでもラジ自身がゲストで歌っている。シングル『クール・ダウン』のB面曲としてシングル・カット。19年にはA/B面を入れ替えて復刻発売された。

  • 9

    ゴロワーズを吸ったことがあるかいかまやつひろし

    音楽自由人ムッシュかまやつが75年に出したヒット・シングル「我が良き友よ」B面曲。当時は吉田拓郎が提供した蛮カラなA面ばかり取り沙汰され、ラップ以前の呟きみたいなコレは話題にならなかったが、時代を追って有名になり、こうしてランキング上位に喰い込む存在になった。来日中だった米ファンク・バンド:タワー・オブ・パワーがレコーディングに参加しており、洋楽ファンにも認知度が高い。ゴロワーズはかまやつ自身が好んだ輸入煙草の銘柄。

  • 8

    しらけちまうぜ小坂忠

    和製R&Bの草分けと言われるシンガー:小坂忠の代表作『HORO』(75年)からのポップ・チューン。最初は細野晴臣の詞曲で書き上げられたが、レコード会社の意向で松本隆が詞を書き直した。スウィート・ソウル風味のアレンジはモータウンのヒット曲を意識したもので、アルバムの中ではキャッチーな出来。シングルにもなっている。演奏はティン・パン・アレー一派で、コーラスは山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子。豪奢なストリングスは矢野誠が編曲している。

  • 7

    恋は流星吉田美奈子

    77年のアルバム『TWILIGHT ZONE』所収。アレンジは山下達郎。美奈子の代表曲といえば、かつては「夢で逢えたら」だったが、彼女の歌に込められたソウルフルな味わいが浸透するにつれ、この曲の人気が高まった。アルバムの長尺ヴァージョンに加え、シングルのA/B面を使ってPart-1,2に分けた3タイプのヴァージョンがあり、7インチ盤がかなりのプレミアを付けている。米光美保、流線形など、シティ・ポップ後継者によるカヴァーも複数。

  • 6

    砂の女鈴木茂

    元はっぴいえんどのギタリストが75年に放った1stソロ・アルバム『BAND WAGON』からの一番人気曲。キャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)への移行期にあって、協力したのは作詞の松本隆のみ。単身渡米し、サンフランシスコやLAでサンタナやタワー・オブ・パワーのメンバーたちの参加を得て完成を見た。茂自身のキレの良いギター・カッティングと西海岸勢のマジカルなグルーヴ、そして鮮やかに描写された歌詞の素晴らしき邂逅。

  • 5

    真夜中のドア~Stay With Me松原みき

    キュートな実力派新人:松原みきのデビュー曲として79年末に発表。それを収めた1stアルバム『POCKET PARK』が80年初頭に登場と、シティ・ポップ全盛の2つのディケイドを橋渡しした、シンボル的名曲。作編曲は当時売り出し中の林哲司。デヴィッド・フォスターに影響されたAORスタイルと、若い娘が大人の女性へと成長していく様を捉えた鮮烈さは、セールスチャートのアクション(最高位28位)以上の衝撃だった。カヴァー作品も多数存在している。

  • 4

    中央フリーウェイ荒井由実

    ハイ・ファイ・セットや庄野真代のヴァージョンでも知られる荒井由実(現・松任谷)の初期名曲。元々はユーミンがTV番組で、共演者のかまやつひろしと楽曲交換する企画で生まれ、ムッシュへの提供曲として書かれたもの。それから間もなく、ユーミン自身の76年作『14番目の月』に本人ヴォーカルで収録。都心から中央道で郊外へ下っていく詞のワクワク感が、如何にも当時のシティ・ポップを象徴している。歌詞への理解ナシにその高揚感は伝わりにくいかもしれない。

  • 3

    都会大貫妙子

    シュガー・ベイブ解散後の77年に発表されたソロ第2作『SUN SHOWER』から。従来この2ndアルバムは、デビュー盤『GREY SKIES』と並び称される存在だったが、近年ブームで評価が高まって急にマスターピース化。その陰には「Summer Connection」や「くすりをたくさん」以上にこの曲の存在が大きい。坂本龍一のハイセンスなアレンジの元ネタはマーヴィン・ゲイ。歌われているのはよくある都会への憧れではなく、そこに背を向ける女性の心情だ。

  • 2

    ピンク・シャドウブレッド&バター

    74年に発表されたシティ・ポップ・クラシック。岩沢幸矢&二弓という69年にデビューした湘南育ちの兄弟フォーク・デュオが、スティーヴィー・ワンダーとの共演を経て次第に洗練。ティン・パン・アレーと共演したアルバム『バーベキュー』で、アシッド臭の立ち込めるこの曲を産み落とした。その後何度もセルフ・カヴァーし、今では80年の松任谷正隆アレンジ版が最もシティ・ポップしていて人気が高い。数あるカヴァーの中でも山下達郎『IT’S A POPPIN’ TIME』でのライヴ・テイクは必聴。

  • 1

    DOWN TOWNシュガー・ベイブ

    山下達郎、大貫妙子の出身バンドで、伊藤銀次も一時在籍。大滝詠一主宰のナイアガラ・レーベルから75年にデビューしたのがシュガー・ベイブだ。ダークなバンドばかりだった日本の黎明期ロック・シーンに、こんなに明るくドライなアメリカン・スタイルのパワー・ポップを演る連中が出現したのは画期的。でもそれゆえ成功は得られず、アルバムは『SONGS』1枚、実質3年の活動で解散した。代表曲であるこの曲には、80年のEPO版などカヴァー多数。

80年代Ranking 80s監修 金澤寿和

  • 50

    ピーターラビットと私大貫妙子

    80年代に入ってからの大貫妙子はヨーロピアン・テイストの作風を得意とし、『ROMANTIQUE』『AVENTURE』、そして彼女の個性を確立した最高傑作『Cliché』(82年)と、俗にいうヨーロッパ3部作を完成させた。特に童話のような歌詞の世界観を持つこの曲は、坂本龍一アレンジによるテクノ・ポップ・スタイルのアレンジと相まって、シングルとしても大人気に。今では大貫妙子の代表曲として広く知られるようになっている。

  • 49

    恋人がサンタクロース松任谷由実

    80年発表のユーミン10作目『SURF & SNOW』収録曲。シングル・カットはなかったものの、原田知世主演のホイチョイ映画『私をスキーに連れてって』(87年公開)の挿入歌として、ユーミンの代表曲のひとつに数えられている。もちろん山下達郎「クリスマス・イヴ」と並んで、J-ポップ・シーンを代表するクリスマス・ソングの定番としてお馴染み。一方、聖歌でありながらギターがドライヴするロック・チューンという異色の組み合わせが斬新でもある。

  • 48

    Sunset松下誠

    これは意外な職人ギタリストの隠れ名曲。松下は芳野藤丸らと組んだAB’Sや自ら率いるパラダイム・シフトなどの活動で知られ、ジャニーズ系など数多くのポップ・アーティストのアレンジでも活躍する。ソロ作も3枚あって、これはAOR色濃厚な81年作『FIRST LIGHT』からのスロウ・チューン。20回以上に及ぶ多重コーラスが美しく芸術的仕上がりを聴かせるが、これは英国バンド:10ccのヒット曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」に触発されたもの。

  • 47

    OFF SHORE角松敏生

    80’sシティ・ポップの代表的アーティスト、角松敏生が83年に発表した3rdアルバム『ON THE CITY SHORE』のオープニング・ナンバー。シングルになったのはライヴ定番のCMタイアップ曲「TAKE YOU TO THE SKY HIGH」だが、ことシティ・ポップ・シーンでは、開放感全開のインパクトでこの曲が優位に立った。後にプロデューサーとして名を馳せる角松の、初セルフ・プロデュース作品でもある。近年は海外からの再評価機運も高まってきた。

  • 46

    LOVETRIP間宮貴子

    82年にワン&オンリーのアルバム『LOVE TRIP』をリリースしたきり、忽然と姿を消した幻のシンガー:間宮貴子。当時は完全に無視されたが、00年代になって少しづつ注目が高まり始め、ここ数年でシティ・ポップ再評価のシンボル的発掘盤として広く知れ渡った。もちろんそれはアーバニズム溢れる楽曲と、当人のアンニュイな雰囲気が今の気分にフィットしたから。作編曲は山下達郎バンドでもギタリストとして活躍した椎名和夫の仕事。

  • 45

    クルージング・オンブレッド&バター

    2002年に結成50年を迎えた岩沢幸矢&二弓の兄弟デュオ、ブレッド&バター。山下達郎もカヴァーした「ピンク・シャドー」、ユーミン提供「あの頃のまま」が代表曲として知られる、80年発表のアルバム『マンデイ・モーニング』に収録されたこの曲も、メリハリの効いたミディアム・グルーヴで人気が高い。セルフ・カヴァーも複数あるが、原曲アレンジはセッション・ギタリストの故・松原正樹。シングル「あの頃のまま」のカップリングにも選ばれた。

  • 44

    COMPLICATION SHAKEDOWN佐野元春

    ロック・テイストの楽曲が多い佐野作品にあって、珍しく80’s色濃厚なヒップホップ・エッセンスの楽曲。当時住んでいたニューヨークの影響がストレートに現れ、巻き舌気味のラップやブレイクビーツなど、84年当時の最先端都市型サウンドが堪能できる。4作目『VISITORS』収録曲で、シングル・カットのほか、クラブ・ミックスを収めた12インチ・シングルも発売。ヒップホップとラップを取り入れた初のJ-ポップ作品とも言われる。

  • 43

    PARK Ave.1981EPO

    シュガー・ベイブのカヴァー「DOWN TOWN」でデビューしたEPOのセカンド・アルバム『GOODIES』(80年)からのシングル・カット。EPO自身の書き下ろしによる持ち味全開のポップ・ナンバーに仕上がっていて、清涼飲料のCMソングとしても親しまれた。アルバム半分はニューヨーク録音だったが、この曲はEPOとは長い付き合いとなる清水信之アレンジによる国内レコーディング。コーラスにはレーベルの先輩:大貫妙子が参加している。

  • 42

    ALL AROUND MEChar

    チャーが88年に発表した6枚目のソロ作『PSYCHE』に収録した人気アコースティック・チューン。当時はピンク・クラウドで活躍中だったが、新たに通販専門インディ・レーベル:江戸屋レコードを立ち上げ、その1作目として、すべての楽器を自分で演奏したこのアルバムを発表。グループと併行して新たなソロ・キャリアを踏み出した。後にバンド編成版、故・石田長生とのユニット:BAHOなどでも再録音している。

  • 41

    君に、胸キュン。YMO

    和製ロックの最先端としてのテクノ・ポップを生み出したYMOが、本気で歌モノの歌謡ポップに挑戦した83年のヒット曲。『BGM』『テクノデリック』と前衛作品が続いた反動で、メンバーはソロ活動に専念。グループ解散の危機に瀕していたが、化粧品CMの話が舞い込んだの機に日本語テクノ歌謡路線に大転換。旧知の松本隆を作詞に迎えてオリコン首位を目指すも、皮肉なことに細野=松本コンビ作による松田聖子「天国のキッス」に行く手を阻まれた。

  • 40

    ペパーミント・ブルー大滝詠一

    80年代シティ・ポップの方向性を決定づけたメガヒット『ロング・ヴァケーション』に続き84年に発表された、大滝の生前最後のオリジナル・アルバム『EACH TIME』収録曲。シングル・カットのない作品だったが、実質この曲がリード・トラックとして扱われ、ラジオなどでもよくプレイされていた。極彩色から薄荷味のメロウネスに変わっても、職人技を凝らした大滝メロディは普遍。もちろん作詞は松本隆の世界観で。

  • 39

    My Sugar Babe山下達郎

    プロ・アーティスト山下達郎としての出発点であるバンド:シュガー・ベイブの思い出に捧げられた、ちょっぴりノスタルジックながらエヴァー・グリーンの魅力を放つバラード・ナンバー。出世作となった80年のヒット・アルバム『RIDE ON TIME』に収められ、勝新太郎主演のTVドラマ『警視-K』のエンディング・テーマとしてシングル・カットされた。達郎自身の中では以前から構想を温めていた曲で、タイミングを見計らって書き上げたという。

  • 38

    テレフォン・ナンバー大橋純子

    昨今のシティ・ポップ・ブームで人気が急上昇したシンボル的楽曲。バック・バンドの美乃屋セントラル・ステイションを解散させてソロ活動に戻った81年作『TEA FOR TEARS』のアルバム収録曲で、シングル・カットはされていない。しかしそのAORチックな作風から再評価が始まり、最近は若手シンガーによるリメイクなどが生まれている。作曲は美乃屋の元リーダーで、大橋の公私に渡るパートナー:佐藤健。アレンジは大御所の萩田光雄。

  • 37

    新・東京ラプソディー山下達郎

    88年に発表された山下達郎9枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム『僕の中の少年』のオープニング・チューン。約半年後にシングル・カットされた。元来は前作『POCKET MUSIC』用に書かれた曲で、昭和初期の文化へのシンパシーと今の時代を生きる自分をオーヴァーラップさせてみたいというアイディアから着想を得ている。藤山一郎が歌った昭和歌謡「東京ラプソディ」の引用は、タイトルを決める段になって思いついたらしい。

  • 36

    SUMMER SUSPICION杉山清貴&オメガトライブ

    きゅうてぃぱんちょす名義でヤマハのポプコンに連続出場した彼らが改名し、83年に発表したデビュー曲。1stアルバム『AQUA CITY』1曲目に収録されている。当初は別曲でデビュー予定だったが、プロデューサーの「もっとドメスティックなメロディー、泣きのあるものを」という意向から、作詞:康珍化=作曲:林哲司のコンビが急ぎ書き上げ、見事オリコンでトップ10入りした。以後このチームが彼らに多くのヒット曲を提供する。

  • 35

    マイアミ午前5時松田聖子

    少女からオトナへの階段を駆け上がる様を、アイドル歌唱ではなく都市型ポップスで表現して支持層を広げた松田聖子。その裏にはシンガーとしての確かな実力、表現力が備わっていたことが挙げられるが、その代表的楽曲がコレ。聖子ナンバーではお馴染みの松本隆が作詞、憂いあるメロディを書かせたら天下一品の来生たかおが作曲、音の職人:大村雅朗が編曲。歌詞はマイアミでも、涼しげなブルーがイメージ・カラー。83年のアルバム『ユートピア』収録。

  • 34

    No End Summer角松敏生

    ヒップホップに大胆アプローチを試みたエポック・メイキングな5作目『GOLD DIGGER ~with True Love~』(85年)のエピローグを飾った名曲。人気クイズ番組のエンディング・テーマに使用され、アカペラ・パートを追加したリテイク・ヴァージョンでアルバムからの2枚目のシングルに選ばれた。アーバン・ファンク色が強い角松楽曲にあっては普遍的ポップ・メロディを持ち、今でもライヴのアンコール定番としてファンの人気曲となっている。

  • 33

    タワー・サイド・メモリー松任谷由実

    ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンらのアートワークで有名な世界的デザイナー集団:ヒプノシスが手掛けたジャケットが印象的な81年作『昨晩お会いしましょう』のオープニング・ナンバー。神戸を舞台にした失恋模様を、当時のスタイリッシュなAORサウンドに乗せ、美しくもクールに表現している。半年前の前作『水の中のASIA』、半年後の米西海岸テイスト濃厚な『PEARL PIERCE』に挟まれ、どこか英国風の知的風情も漂って…。

  • 32

    SAY GOODBYE佐藤博

    70年代はティン・パン・ファミリーの人気鍵盤奏者として白玉のピアノ・プレイで高評価を獲得し、米国修行帰国後は一人多重録音の職人アーティストとしても活躍した佐藤博。帰国直後の82年に発表したソロ4作目『AWAKENING』は、日本で逸早くリン・ドラムを使いこなした、ミュージシャンにも信奉者の多い知る人ぞ知る名盤となった。その中の人気曲のひとつで、ヴォコーダーと生歌の対比も鮮やかなポップ・チューン。

  • 31

    YOUNG BLOODS 佐野元春

    フランスを旅しながら曲を書いた86年作『Café Bohemia』からの先行シングル曲。当時人気を誇ったスタイル・カウンシルからの引用が顕著で、アートワークや当時の彼のファッションにもその影響が垣間見える。前々作がブルース・スプリンフグスティーン、前作がニューヨークのヒップホップ、そして今度はポスト・パンクと当時はあざとさばかり目についたが、実は一貫して街に溢れる市井のポップ・ロックをストリート側から歌っていたと理解できる。

  • 30

    ニューヨーク・コンフィデンシャル加藤和彦

    83年に発表されたアルバム『あの頃、マリー・ローランサン』のAORチューン。YMOとのヨーロッパ3部作後、しばし充電期間を経ての総決算作とされ、高中正義(g)に高橋ユキヒロ (ds)、矢野顕子(pf)、ウィリー・ウィークス(b)らに坂本龍一のオーケストレイションという贅沢極まりない布陣で臨んでいる。当時のパートナー:安井かずみによる美的センス溢れる詞の世界を抜きには語れない。

  • 29

    土曜の夜はパラダイスEPO

    82年に発表されたEPOの4枚目のシングルであると同時に、TVの人気バラエティ『オレたちひょうきん族』の2代目エンディング・テーマとしてお茶の間に親しまれたポップ・チューン。初代もEPOが歌うシュガー・ベイブのカヴァー「DOWN TOWN」だったが、こちらは自身の詞・曲だったことが大きい。翌83年の4thアルバム『VITAMIN E・P・O』に収録。そこからヒットした「う、ふ、ふ、ふ」と共に、今ではEPOの代表曲となっている。

  • 28

    電話しても村田和人

    夏男:村田和人のデビュー曲。山下達郎のプロデュース/アレンジにより、82年4月の1stアルバム『また明日』からの先行シングルとしてリリースされたが、元々はアマチュア・バンドALMOND ROCCA時代から歌っていた。ギターと鍵盤を達郎自身、当時の達郎バンドの不動のリズム・セクション:青山純&伊藤広規がボトムを固め、コーラスにはレーベルメイトの濱田金吾と松下誠という豪華メンバーでレコーディングされている。

  • 27

    これは恋ではないピチカート・ファイヴ

    ピチカート・ファイヴの2作目のスタジオ・アルバム『Bellissima!』(ベリッシマ/88年)から。オリジナル・ラブをインディ・デビューさせたばかりの田島貴男が、2代目シンガーとして新たに加入。小西康陽と高浪慶太郎との3人で制作された。田島の参加でソウル・テイストが強くなったが、ホール&オーツをモチーフにしたと思しきこの曲は、少々ダークな肌触りのアルバムにあって、最もシティ・ポップした楽曲と言える。詞・曲は小西に拠るもの。

  • 26

    LOVELAND、ISLAND山下達郎

    80年代のシティ・ポップスは“リゾート・ポップス”と呼ばれることも少なくなかったが、そのシンボル的作品が、山下達郎82年作のアルバム『FOR YOU』。そのスターター「Sparkle」以上にリゾート感を運んだサマー・アンセムがこの曲だ。元々ビールのCMソングとして書かれ、それが好評だったためアルバムに収録。山下が16ビート中心のバンド・サウンドを完成域に到達させた時期であり、彼の作品群で最もアッパーな楽曲のひとつと言える。

  • 25

    あまく危険な香り山下達郎

    人気作『FOR YOU』直後に、TVドラマ主題歌としてリリースされたシングル曲。当初はベテラン・シンガーに歌ってもらうことを想定しており、『FOR YOU』の盛夏イメージから一転、メロウな都会の夜を髣髴とさせる。達郎が愛するシカゴ・ソウルのリズム・パターンを引用。3ヶ月後に出た『GREATEST HITS』や2012年の『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』にも収録、さらに『FOR YOU』のリマスター盤にもボーナス・トラックとして収録された。ライヴでもよく歌われる。

  • 24

    恋するカレン大滝詠一

    日本のポップス史に燦然と輝く超名盤『ア・ロング・バケイション』(81年)からの2ndシングル。名作曲家バリー・マンが、ウォーカー・ブラザーズやライチャス・ブラザーズらに提供した楽曲群に着想を得たとされる。直接的には、79年に男性声優によるバンド:スラップスティックに提供した「海辺のジュリエット」に新しいサビのメロディを追加し、松本隆の詞を採用。多重コーラスや甲高いピアノの響きで日本のポップスらしさを強調した。編曲の多羅尾伴内は大滝の変名。

  • 23

    雨のウエンズデイ大滝詠一

    『ア・ロング・バケイション』からの2ndシングル『恋するカレン』のB面曲。ブルージーな心象風景を、細野晴臣や鈴木茂ら、かつての仲間たちを含むスモール・コンボで録音したそう。カップリング曲がA面曲の人気を上回るのは意外な感じもするが、ヒット曲とはその頃の時代感や大衆のニーズによって生まれるもの。40年も経過すれば、自ずと時代背景や音楽の評価軸は変化する。その結果として逆転現象が発生するのは決して不思議なことではない。

  • 22

    優しい夜の過ごし方加藤和彦

    前出「ニューヨーク・コンフィデンシャル」と同じく、83年に発表されたオトナの都市型ポップ・アルバム『あの頃、マリー・ローランサン』から。レコーディングの顔ぶれは「ニューヨーク…」とほぼ同じだが、シングル・カットされたこちらはマルチ・ミュージシャンでもある清水信之のオーケストレーション。何処かノスタルジックな音使いが、ミカ・バンド世代のリスナーの琴線を揺らす。あなたのシティ・ポップ感を問うような一曲だ。

  • 21

    スローなブギにしてくれ(I want you)南佳孝

    片岡義男の同名短編青春小説を東映と角川春樹事務所が81年に映画化。残念ながら興行成績は成功とはいえなかったが主題歌は大ヒットし、南佳孝の代表曲となった。粘りつくような個性的ヴォーカル、“Want You”という印象的フレーズ、そして何よりオールド・スクールなスロウ・ブルース・スタイルなのに、シンセサイザー・ベースが曲をリードしていくその斬新なアレンジ(by後藤次利)のバランス感覚が素晴らしい。81年発表『SILK SCREEN』からの先行シングル。

  • 20

    EMANONサザンオールスターズ

    サザンオールスターズ6枚目のアルバム『綺麗』からのリード・トラックとして、アルバムと同時発売されたシングル曲。サザンがシティ・ポップとして語られる機会は少なく、それだけ流行に左右されない普遍的大衆性を持っていることになる。その中でこの曲が彼ら史上、最もアーバンかつアダルト指数が高いナンバーとなったのは、桑田が洋楽AORシーンの動向や、大滝詠一、山下達郎らの大ヒットを座視していなかった証左と言えるだろう。

  • 19

    あの頃、マリー・サンローラン加藤和彦

    83年作『あの頃、マリー・ローランサン』から3曲ランクインした中で、この曲のシングルのカップリング「優しい夜の過ごし方」や「ニューヨーク・コンフィデンシャル」を抑えて最上位に立ったのが、このアルバム表題曲だった。直前のヨーロッパ三部作のテンション溢れる音とは違い、東京での日常を穏やかに、緩急つけたサウンドで表現している。アレンジは加藤、坂本龍一、清水信之の3巨頭。清水靖晃のサックスとクラリネットがユニーク。

  • 18

    そして僕は途方に暮れる大沢誉志幸

    84年にリリースされた大沢誉志幸5枚目のシングルで、最大のヒット曲。同年発売の3rdアルバム『CONFUSION』から2枚目のシングルカットだが、アルバム・ヴァージョンとは若干アレンジが異なっている。憂いのあるメロディと独特のスモーキー・ヴォイス、大村雅朗アレンジによるクールなミディアム・ビートとニュー・ウェイヴ・テイストのサウンドが絶妙にマッチ。カップ麺のCMソングだったとは信じられぬキレ味と斬新さがある。

  • 17

    シャドー・シティ寺尾聰

    俳優のイメージが強い寺尾聰だが、元々はGSのザ・サベージ出身で66年デビュー。70年にはボサノヴァ風味のソロ作を出した生粋の先取り音楽人である。81年のメガヒット『REFLECTIONS』とシングル「ルビーの指環」に先んじて80年夏に発売され、「ルビーの指環」のヒット後に週間セールス・ランキングで最高19位をマークした。それらの影に隠れがちだが、和製AOR的評価はコチラが上。呟くようなヴォーカルにテンション・コード満載のアレンジ、オトナの粋がココにある。

  • 16

    A面で恋をしてナイアガラ・トライアングルVOL.2

    大滝詠一、杉真理、佐野元春の3人から成る『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』(81年)からのシングル曲。大滝に化粧品キャンペーン・ソングの依頼があり、一旦は断ったものの、既にできていたキャッチコピー“A面で恋をして”を聞いた途端にメロディが閃いた。だが『ア・ロング・バケイション』や松田聖子への楽曲提供に続くソロ・ワークになるのを躊躇い、このフォーマットになった。松本隆の詞を3人のリード・ヴォーカルで繋いでいく辺りが楽しい。

  • 15

    カナリア諸島にて大滝詠一

    名盤『ア・ロング・バケイション』からの最初のシングル『君は天然色』のカップリング。大滝は制作前から「J.D.サウザー『ユア・オンリー・ロンリー』みたいなアルバムを作りたい」と話していたそうだが、最初に書き上げたこの曲がまさしくこれ。サウザーはロイ・オービソンへのリスペクトを込めて件の曲を書き、その意匠は本作へと受け継がれた。歌詞のないデモでもリゾート感たっぷりだったというから、80年代シティ・ポップの潮流を決定づけた曲と言えるかも。

  • 14

    I CAN'T WAIT佐藤博

    ティン・パン・アレーのファミリーに名を連ね、山下達郎や角松敏生をして「白タマのピアノを弾かせたら彼の右に出る人はない」と言わしめた佐藤博。LAでの武者修行を経て82年に発表された通算4作目のソロ・アルバム『awakening』は、開発間もないリン・ドラムを大胆導入した珠玉のチルアウト仕様宅録盤。自身とクリスタル・ヴォイスのウェンディ・マシューズがデュエットするこの曲は、ミュージシャン仲間にもリスペクトされる一番の名曲だ。

  • 13

    ようこそ輝く時間へ松任谷由実

    シティ・ポップ名盤連発のユーミン作品群にあって、82年リリースの通算13作目『PEARL PIERCE』は、西海岸テイストの強い清涼感溢れるAORアルバムになった。「Dang Dang」や「真珠のピアス」といった有名曲が多く収録されているが、小気味良いギター・リフに導かれてオープニングを飾ったこの曲は、アーバンなアルバム・カラーを象徴したミディアム・メロウ・チューン。流麗なストリングスに女性コーラスと、サウンドもゴージャズ。

  • 12

    夏のクラクション稲垣潤一

    83年夏に発売された稲垣5枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平による哀愁バラードで、アレンジは井上鑑。稲垣の魅力である独特のウェット・ヴォイスと、今剛による泣きのギターも程よく耳に残る。カセットテープのCMに使われて、「ドラマチック・レイン」や「エスケープ」に続く好アクション(週間セールス・ランキング25位)を獲得。3枚目のアルバム『J.I.』に収められた。ヴォーカルは100回以上も録り直したというコダワリの逸品でもある。

  • 11

    ルビーの指環寺尾聰

    81年度のレコードセールス年間1位、その年の音楽賞を総舐めにした大ヒット。ハイライトの日本レコード大賞では、作曲の寺尾、作詞の松本隆、編曲の井上鑑も各部門賞獲得の完全制覇。井上が参加するセッション・ミュージシャン集団:パラシュートの演奏も高評価を得た。タイヤのCMソングとして81年2月にシングル発売され、後続アルバム『REFLECTIONS』をリード。でも所属していた石原プロモーションの重役には、当初「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と言われたとか。

  • 10

    一本の音楽村田和人

    山下達郎のバックアップでデビューした村田和人の2ndアルバム『ひとかけらの夏』(83年)に収録され、カセットテープのCMソングとして先行シングル・カット、お茶の間にも親しまれた代表曲。タイアップありきで制作され、サビから順にパートを付け足していくように書かれた。プロデュースは山下、彼のバンドの青山純&伊藤広規がリズム、村田バンドの山本圭右(PIPER)がギター・ソロをプレイしている。16年に急逝した村田の大らかなヴォーカルがサイコー。

  • 9

    土曜日の恋人山下達郎

    達郎楽曲ではあまり目立つ曲ではないが、この上位ランクは、80年代漫才ブームの象徴たる大人気TVバラエティ『オレたちひょうきん族』の影響力あってこそ。この番組では達郎関連曲の使用頻度が高く、この曲もエンディング・テーマとして85年にシングル発売。翌年のアルバム『POCKET MUSIC』に新ミックスで収録された。ノーナ・リーヴスや土岐麻子など、次世代アーティストに好んでカヴァーされるのも、特定世代への波及力の強さを物語る。

  • 8

    RIDE ON TIME山下達郎

    山下達郎の今があるのは、この曲のブレイクがあったから。本人出演によるカセットテープのCMソングとして80年5月に発売。初めてセールスチャート3位を記録し、同年9月発売の同名アルバム・タイトル曲として新録収録された。難波弘之(key)、椎名和夫(g)、伊藤広規(b)、故・青山純(ds)というお馴染みのバンド・メンバーによる初レコーディング曲でもある。03年にTBS系ドラマ「GOOD LUCK!!」の主題歌として再発売され、23年の時を超えて再び大ヒット。

  • 7

    真珠のピアス松任谷由実

    82年リリースの通算13作目となる『PEARL PIERCE』の人気曲。このアルバムは、西海岸テイストの強い清涼感溢れるAOR作品だが、キレの良いギター・カッティングでスタートするこの曲は、まさにその象徴と言える。エモーショナルなギター・ソロは、職人:松原正樹によるもの。夏の情感を湛えながら、その実、複雑な心模様を歌った失恋ソングというあたりが、如何にもユーミン。夫君:松任谷正隆の緻密なアレンジが、それを聴きやすく演出している。

  • 6

    TOWN吉田美奈子

    吉田美奈子にとってエポック・メイキングなアルバムとなった81年作『MONSTERS IN TOWN』の冒頭を飾った、超重量級のシティ・ファンク・チューン。そのテイストは前作『MONOCHROME』あたりから顕著だったが、ここまで音圧が厚くスリリングなサウンド、圧倒的なパワー・ヴォーカルを聴かせるとは、当時はまさしく衝撃だった。カセットテープのCM曲「BLACK EYE LADY」B面としてエディット版をシングル・カット。翌年A面扱いでフル尺12インチ盤も発売された。

  • 5

    君は天然色大滝詠一

    81年発表の歴史的名盤にして、80年代シティ・ポップの趨勢を決定づけた『ア・ロング・バケイション』のリード曲。シングルはオリコン週間セールス・ランキング36位の成績だったが、アルバムは2位まで上がって発売1年でミリオン・セラーに。この曲はそのシンボル的楽曲として広く親しまれている。ナイアガラ印の和製ウォール・オブ・サウンドと松本隆が綴るノスタリジックな詩情、そしてそれを見事視覚化した永井博のアートアークと、コンビネーションも完璧

  • 4

    頬に夜の灯吉田美奈子

    「TOWN」収録のアルバム『MONSTERS IN TOWN』に続いた82年作『LIGHT’N UP』に収められた、珠玉のミディアム・バラード。山下達郎も歌った名曲「時よ」を凌ぐ美奈子一世一代の名バラードと言っても、褒めすぎにはならないだろう。レコーディングは当時のレギュラー・バンドによるが、ホーンやストリングスはニューヨークでダビング。特にデヴィッド・サンボーンのアルト・サックス・ソロが素晴らしく、エンディングへ向けて感動を誘う。

  • 3

    色彩都市大貫妙子

    82年発表、通算6枚目のアルバム『cliché』より。シングル・カットもない曲なのに、これほど人気が高いのは、曲名から来るイメージが大きいからだろう。フレンチなアレンジは坂本龍一に拠るもので、彼らしいテクノ・サウンドとアコースティック楽器のブレンドが絶妙。ヘタウマなドラムも坂本自身が叩いた。アルバムは半分パリ録音だが、これは東京制作。クールかつエレガントながら、凛とした佇まいで芯の強さを感じさせるヴォーカルが魅惑的。

  • 2

    プラスティック・ラブ竹内まりや

    現在のシティ・ポップ・ブームのアイコン的ナンバー。84年発表の6作目『VARIETY』に収録されたものの、通常シングル・カットはなく、翌年12インチのリミックス盤が出ただけ。ところが17年になって、Youtubeに非公式音源がアップされ、海外で人気沸騰。それが逆輸入され、今や日本だけでなく、韓国でもカヴァーが続々生まれている。アレンジとプロデュースを手掛けた夫:山下達郎もステージで十八番にしており、ライヴ盤『JOY』に収録された。

  • 1

    SPARKLE山下達郎

    山下達郎の最高傑作『FOR YOU』(82年)のスターターであり、3時間超に及ぶ彼のライヴ・ステージでもオープニングに披露されることが多いシティ・ポップのシンボル。キレのあるイントロのギター・カッティングが有名だが、当時購入したばかりのギターの鳴りが素晴らしく良かったことから、それを生かす楽曲として誕生した経緯がある。当時の達郎バンドのアンサンブルがピークにあったことも、この曲、そしてアルバムを、ひと際インプレッシヴなものにした。

レコード・コレクターズ

<2020年6月号>
特集 1973-1979 シティ・ポップの名曲ベスト100
定価880円(本体800円)
A5判228ページ

<2020年7月号>
特集 1980-1989 シティ・ポップの名曲ベスト100
定価880円(本体800円)
A5判228ページ

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